今年3月3日付『解放軍報』(中国共産党中央軍事委員会の機関紙)に、興味深い記事が掲載された。日本人にも馴染み深い『三国志演義』の「桃園の誓い」(=「桃園の契り」)に関する論評である。同紙は、「桃園の結義」を最も成功しなかった“政治集団”だったと決めつけた。これはどういうことだろうか。
よく知られているように、劉備(のちに三国時代の蜀漢の皇帝となる)は貧しい民のために立ち上がり、天下取りを目指した。その際、豪傑の関羽と張飛の助けを借りている。3人は張飛の屋敷裏で宴を催し、“義兄弟”の契りを交わした。
この“義兄弟”の姓は違うが、死ぬ時は同じ場所、同じ時間だと誓い合った契りにより、3人は「幇」(血縁・地縁と同じ共同体)を形成したのである(ちなみに「幇」の掟は絶対であり、一般の法やルールよりも優先される)。
『解放軍報』は、この劉備・関羽・張飛の「桃園の誓い」を「セクト主義」(=「幇」)に他ならないと指弾している。
同紙によれば、「セクト主義」は、排他的で身内をひいきする傾向にあり、外部(「幇」のソト)の人間を信頼しない。また、政策決定、敵味方の取捨、是非を判断の際、「セクト」内の利益しか考えないという。だから、今こそ「桃園の結義」のような「セクト主義」をやめるべきだと主張する。
しかし、いったん「幇」が形成されたら、大半の中国人は忠実にその掟に従うであろう。
さて、『解放軍報』による「セクト主義」批判は、中国人が得意とする「指桑罵槐」(桑を指してエンジュを罵る)の典型ではないだろうか。というのは、今更、人民解放軍が『三国志演義』中の有名な逸話をいくら指弾しても何の意味もないからである。
かつて、「文化大革命」が終息する前の1973年から1976年、毛沢東の妻 江青をはじめとする「四人組」(他は張春橋・姚文元・王洪文)が「批林批孔」運動を行っている。
これはその時すでに死亡している林彪(1971年に毛沢東暗殺を企てたが失敗し、ソ連へ逃亡しようとしたがモンゴルで墜落死)と春秋時代の思想家 孔子を同時に批判対象としたものである。ずいぶん奇妙な取り合わせである。林彪と孔子との間に何の関係があるのかわからない。
当時、「四人組」の攻撃対象になったのは周恩来首相だった。その際「四人組」は直接周首相を糾弾せず、わざと林彪や孔子を“出し”にして、批判対象としたのである。
今回、『解放軍報』は劉備・関羽・張飛の「桃園の誓い」を“出し”にして、あるグループを批判していると見て、ほぼ間違いないだろう。
現在、「主流派」の習近平政権(「太子党」)が権力を握っている。そして、習主席は「反腐敗運動」という名の権力闘争を仕掛けた。無論、攻撃対象になっているのは、「反主流派」の江沢民元主席率いる「上海閥」と胡錦濤前主席率いる「共青団」である(ちなみに、3大派閥はすべて「幇」と考えられる)。
周知のように、中国共産党の権力の源泉は人民解放軍にある。今年2月1日、人民解放軍の大幅な改編(「7大軍区」から「5大戦区」へ)が行われた。同時に人事も一新された。
そのため一部の論者は、習近平主席が軍を完全に掌握したと考えているふしがある。だが、それは早計ではないか。
実際、解放軍の中には「太子党」系・「上海閥」系・「共青団」系が混在し、お互いを牽制し合っている。牽制し合う程度ならまだ良いが、3大派閥が依然、生きるか死ぬかの熾烈な権力闘争を行っているのである。だからこそ、「主流派」が握っている『解放軍報』に「セクト主義」糾弾の記事が掲載されたのではないだろうか。
ところで、我々は中国人の「指桑罵槐」という“性癖”に十分注意しなければならない。日本人と中国人の思考はまったく異なるからである。
中国共産党が日本あるいは日本人を批判した際、それが本当に日本や日本人に対する攻撃なのかどうか、しっかり見極める必要がある。中国政府から日本や日本人が非難された時、我々が批判されていると考えるのはあまりにナイーブ過ぎよう。北京が攻撃対象としているのは、意外にも国内の敵だったり、他国や他国の人だったりする場合もある。
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