最近、法政大学の趙宏偉教授(日本滞在30年。専門は中国政治や国際関係論)が、一時、出張先の中国で失踪した。
趙教授は、今年2月27日から3月1日にかけて北京を訪問している。3月に入って、2日と3日、趙氏家族は教授と連絡が取れたが、その後、教授に連絡が取れなくなったのである。
幸いにも、3月23日、趙教授は当局による拘束を解かれ、親類宅へ戻ったという。同日、教授から家族へ連絡があった。なお、教授は北京ではなく“遼寧省”瀋陽市で当局に拘束されていたと報道されている。
趙教授の失踪は、2年前に起きた神戸大学大学院の王柯教授失踪時とは、若干、様相が違う。
王教授は、2014年3月1日、少数民族を調査するため福建省泉州市入りし、同月10日、日本へ帰国する予定だった。ところが、同月7日、王教授は突然“地元警察”に拘束され、18日間にわたり取り調べを受けている。結局、3月24日、上海経由で日本へ戻った。
王教授は河南省南陽市出身である。中央民族学院を卒業し、東大大学院で学術博士を取得した。恐らく王教授の場合、「東トルキスタン独立運動」との関連を疑われたのではないか。また、王教授は“地元警察”に拘束されただけなので、必ずしも大問題とはならなかった。
今回の趙教授失踪のケースは、2013年7月、東洋学園大学の朱建栄教授が失踪したパターンに近いのではないか。
その年、朱教授は会議に出席するため中国へ出張した。ところが、“国家安全部”(情報収集や防諜、海外での諜報活動や国内の安全等を担当)に拘束されている。結局、翌14年2月、朱教授は約7ヶ月ぶりに日本へ帰国した。
よく知られているように、朱教授は頻繁に日本でテレビ出演し、「北京のスポークスマン」的な役割を果たしてきた。その人物が、中国政府によって拘束されるとは、誰が想像しただろうか。
なぜ朱教授は長期間、拘束されたのか。当時いくつかの憶測が飛び交った。
例えば、朱教授が@中国共産党の秘密文献を使用して論文を書いた Aそのマル秘文件を海外へ横流しした B日中の「二重スパイ」だった、等である。しかし、真の理由は未だにわからない。
一方、趙教授は学生時代、1989年の「民主化要求運動」(その後「6・4天安門事件」の悲劇で幕を閉じる)に参加した経験があるという。その後、来日し、東大大学院で学術博士を取得している。ところが、趙教授は若い頃とは違って、近年は共産党政府擁護にまわるようになった。
趙教授にしても、朱教授にしても、「愛国主義」的なスタンスを取っている。だからこそ、趙教授も中国当局に日中「二重スパイ」を疑われ、取り調べられた可能性がないとも言えない。
さて、見逃せないのは両教授の共通点である。趙教授は遼寧省(旧瀋陽軍区=現北部軍区の一部)出身である(吉林省の吉林大学卒)。また、朱教授は上海出身である(上海の華東師範大学卒)。そのため、両教授ともに江沢民の「上海閥」に所属している公算が大きい。
というのも、1994年、朱教授は『江沢民の中国』(中公新書)を上梓した。他方、趙教授は、雑誌『月刊現代』(2005年5月号)に「不気味な胡錦濤とのつき合い方」を掲載している。仮にも、当時の胡主席(「共青団」)を“不気味”と形容するのは、いささか尋常ではないだろう。
周知の如く、今の北京政府は習近平・王岐山の「太子党」中心で動いている。そして、「習王連合」は「反腐敗運動」という名の下、熾烈な党内闘争を展開中である。
習政権の第1のターゲットは「上海閥」だろう。そのため、北京政府は(朱教授のみならず)趙教授を出身地の遼寧省で拘束して、「上海閥」の弱点・負の部分を調べた可能性を捨てきれない。そして、それを根拠に他の「上海閥」に属する人間を打倒しようと画策しているのではないか。
もし趙教授が朱教授同様、地元警察ではなく“国家安全部”に拘束されたとすれば、この仮説は有力となるだろう。
ちなみに中国では2014年11月に「反スパイ法」が制定・施行された。また、昨15年7月には「国家安全法」が制定・施行されている。我が国の多くのマスコミには、これら2法と趙教授の失踪を結び付ける論調が目立つ。だが、朱教授と王教授は、それらの法律とはまったく無関係だった。我々はその点に留意すべきではないか。
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