今年5月30日に配信された『産経新聞』ニュースで、西岡力氏(「救う会」会長)の北朝鮮に関する情報が載せられている(同月16日に開催された「北朝鮮の最新情勢と救出のへ展望」での発言)。
西岡氏によれば、金正恩労働党委員長が「中国共産党はおれを倒しに来るのか。それだったら上海と北京に核を撃ち込んでやるぞ」と言ったという。この正恩委員長の北京への脅しは、驚くにあたらない。
仮に、西岡氏の情報が正しいとしよう。すると、われわれが今まで唱えてきた「仮説」が証明されたことになる。
かねてより、われわれは北朝鮮の核が、必ずしも日本・米国・韓国に向いているとは限らないと指摘してきた。そして、北朝鮮の核は、北京政府(習近平政権)に向けられている公算が大きいとも主張してきた。
なぜか。朝鮮戦争以来、旧瀋陽軍区(現、北部戦区)と北朝鮮は、ほぼ一体化しているからである。朝鮮半島で戦った多くの中国義勇軍は、朝鮮族出身者だった。そのため、朝鮮戦争停戦以降、中国義勇軍の大半は中国側に戻ったが、一部は朝鮮半島(ほとんどは北朝鮮)に残留した。したがって、旧瀋陽軍区は北とのつながりがきわめて強い。
とりわけ、習近平政権が誕生して以来、旧瀋陽軍区(「上海閥」)は北京政府(「太子党」)と対立してきた経緯がある。
かつて「東北のトラ」と称された徐才厚が、旧瀋陽軍区を牛耳っていた。この旧瀋陽軍区は、ロシア・モンゴル・北朝鮮と国境を接しているので、7大戦区中、最強と謳われた。
ただし、旧瀋陽軍区は核を持たなかった。そこで、同軍区は、北朝鮮に核開発させ、いざという時には、(同軍区に操られた)金王朝が北京政府を恫喝する方策を採ったのではいかと考えられる。
しかし、習近平政権の「反腐敗運動」で、徐才厚は2014年初夏に失脚した。 同年3月、徐才厚失脚前、徐の部下であった王旭東が徐のため北京政府に対し「3・1クーデター」を起こしている(これは未遂事件に終わった)。
昨2015年3月、徐才厚は、北京301病院で膀胱癌のため死去したという(暗殺されたとの噂もある)。
だからこそ、今年2月、習近平政権は7大軍区を5大戦区へ編成替えして、北朝鮮をコントロールしている旧瀋陽軍区解体を試みた。
ところが、結果はどうなったか。習主席が、旧北京軍区から北方戦区へトップの司令員(宋普選)を送り込んだまでは良かった。だが、肝心な監視役である政治委員(褚益民)は、旧瀋陽軍区から横滑りで同戦区におさまっている。政治委員は、場合によって司令員を解雇できる権限を持つ。これでは、習近平主席が、何のために軍の改変を行ったのかわからない。
周知のように、韓国の朴槿恵大統領は、就任以来、2回(2013年6月と2015年9月)北京を訪問している。ところが、金正恩党委員長は、まだ1度も北京詣でをしていない。
それどころか、金正恩委員長は、習近平政権の制止にもかかわらず、好き勝手に核実験やミサイル試射などを繰り返している。習主席にとって、正恩委員長は疎ましい存在であることは間違いない。
それならば、なぜ北京は正恩政権へ厳しい経済制裁を行わないのか。中国が北朝鮮に対して石油や食糧援助を1週間行わなければ、今の金王朝は、たちまち崩壊するだろう。
その時、 習近平政権は長男の金正男(「親太子党」)を担ぎ出し、北のトップに据えれば問題ない。朝鮮半島を「現状維持」するためには、正男を使って金王朝存続させれば良いのではないか。
けれども、習近平主席にはそれが簡単にはできない。旧瀋陽軍区による正恩(「親上海閥」)への後押しがあり、うかつにはできないだろう。
ひょっとしたら、今回、旧瀋陽軍区が、正恩委員長に強気な発言をさせたとも考えられなくもない。
(もし西岡氏の情報が正しければ、)金正恩委員長の強気な発言の裏には、以上の諸事情がある。
ちなみに、金正恩の(義理の)叔父、張成沢は幼い頃から長男の正男を可愛がっていた。
そして、2012年夏、張成沢が胡錦濤主席(当時)に面会した際、正恩を排して、正男を北のトップに据える考えを述べたという(その時、胡主席が張成沢に何と答えたのは不明)。
この会談内容を知った「上海閥」の周永康(当時の政治局常務委員。すでに失脚し、現在、受刑中)は、秘密裡に金正恩に知らせたという。2013年12月、それに激怒した金正恩がついに張成沢を処刑した。
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