今年(2016年)9月13日、陸豊市警は、同市東海鎮烏坎村に1000人以上の武装警察や機動隊を投入して、デモ隊への弾圧を行った。陸豊市警は、催涙弾やゴム弾を使用している。一方、デモ隊側も投石をして激しく抵抗したので、村民に数十人のけが人が出た。
当日、同市警は村民約100人を拘束、13人を逮捕し、逃げた5人を指名手配した(その中には、林祖恋の妻、楊珍の弟、楊少集も含まれている)。当局は、5人に対し2万元(約30万円)の懸賞金をかけた。
また、陸豊市警は、外部から烏坎村に人や車両を入れないようにして、同村を“孤立化”させ、外への情報流出を遮断した。
翌14日、香港の『明報』と『南華早報』の記者が現地を取材しようとして、3人が公安当局から暴力を振るわれ、記者ら5人が当局から一時拘束された。当日、香港では、「香港市民支援愛国民主運動連合会」が「北京政府駐港連絡弁公室」前までデモを行った。
翌15日、その5人の記者らは香港へ強制送還されている。同日、香港では、香港民主党の当選議員(今年9月4日、立法会選挙で当選し、10月1日から新議員となる)らが香港政府前で、中国当局による香港の記者拘束に対し抗議を行った。
同事件は、同年6月17日、烏坎村委員会主任(日本の村長に相当)、林祖恋(林祖銮)が収賄容疑で当局に連行されたのが始まりである。2日後の19日、林祖恋の逮捕に抗議する大規模な村民集会が開かれた。更に、その2日後の21日、村民らは陸豊市に抗議を行った。
当日、市当局は記者会見を行い、林祖恋がテレビ収録で自ら収賄の容疑を認めたことを公表した。林祖恋の妻、楊珍が指摘したように、当局が林祖恋に対し、無理に言わせたのは間違いないだろう。
その後、林祖恋釈放の村民デモが80日も連続して行われた。いかに村民は林祖恋を信頼しているかの表れである。
だが、9月8日、仏山市禅城区法院は林祖恋に対し、収賄罪で懲役3年1ヶ月、罰金20万元(約300万円)を言い渡している。その判決を受けて、烏坎村村民はデモを継続した。
かつて広東省烏坎村では、2011年12月、当日の村の幹部らが、村の集団所有地を不正に売り渡していた事実が発覚した。「1997年には、烏坎村に本籍のある香港人資本家、陳文清が500畝を囲い込み養豚場を建設したことで村民らから不満が出た」(青岩「烏坎:土地開発に抗する農民の闘い」『十月評論』2011年第2・3期)。
怒り心頭の村民らは集会を開き、村の幹部らを糾弾している。それがきっかけとなり、翌12年2・3月、村民は同村委員会主任や村の役員らを“民主的選挙”で選出した。画期的だった。
中国では、1988年6月1日に「村民委員会組織法(試行)」が公布された。
その10年後、1998年11月4日、第9期全国人民代表大会常務委員会第5回会議で「村民委員会組織法」がようやく通過した。さらに、2010年10月、第11期全国人民代表大会常務委員会第17回会議で「村民委員会組織法」が改正・発布された。
同法では、当地に住む18歳以上の村民に選挙権・被選挙権が与えられている(村民委員会の任期は3年で再選を妨げない)。
これで、基層レベルでの“民主的選挙”が行われる法律が、一応、整備された。しかし、だからと言って、中国で“民主的選挙”が行われる保証はどこにもない(例外は「海選」<立候補者を設定せずに投票を行う選挙>かもしれない。村民の中で、1番多くの票を集めた人が委員会主任となる。淵源は、1986年、吉林省四平市梨樹件北老壕村だという)。
では、なぜ烏坎村に限って、“民主的選挙”が可能だったのか。
第1に、当時の広東省のトップ、汪洋委員会書記(2007年12月〜2012年12月)が胡耀邦・趙紫陽ら「改革派」(「共青団」)の流れをくみ、民主主義に多大な理解があったからである。
第2に、烏坎村は、割と香港に近く海外メディアが注目した。中国共産党も、露骨な選挙干渉はしづらかった。
第3に、元来、広東省陸豊市・海豊市は進取の気性があり、革命の風土があった(例えば、1927年には、海陸豊地区労農兵士ソビエトが結成されている)。
現在、広東省委員会書記(同省トップ)は「共青団」のエース、胡春華である。“第6世代”期待の星、孫政才と並び称される。
しかし、中国共産党第19回全国代表会議(19大)の人事を直前に控え、政治局常務委員入りが噂されている胡春華は、烏坎村弾圧を決意したのかもしれない。胡は自分の出世のため、烏坎村の民主主義を見殺しにした可能性もある。
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