澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -416-
マカオ返還20周年

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政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 1999年12月20日、マカオ(澳門)がポルトガルから中国へ返還されてから、すでに20年の歳月が流れた。
 今年(2019年)12月、習近平主席は、マカオでの祝賀会に臨むため、同地へ飛んだ。
 同月24日、祝賀会に出席した習主席は「マカオは歴史上最も良い発展の局面を迎え、マカオの特色ある『1国2制度』が成功を収めている」と祝辞を述べた。同会は、賀一誠マカオ行政長官(400人の「選挙委員会」から選出)の就任式を兼ねていた。
 周知の如く、現在、中国共産党は「民主化」を求める香港に手を焼いている。だが、香港市民とは違って、マカオ市民は必ずしもマカオ政府や中国政府に対し「民主化」を求めていない。
 マカオは、ひたすら経済発展だけを目指している。まさに、中国共産党にとっては、「1国2制度」の“理想的モデル”だろう。
 ごく簡単にマカオの歴史を振り返りたい。
 明の時代、皇帝がポルトガル人にマカオでの居留権を与え、中葡貿易の便宜を図った。ただ、明朝も後の清朝も、マカオという領土の主権をポルトガルに与えた訳ではない。
 現在、中国共産党は、ポルトガルがマカオを強奪したという。1887年、「中葡和好通商条約」(翌年発効)が締結されたが、これを指す。この不平等条約により、マカオはポルトガルの領土となった。
 マカオは、第2次大戦以降も、英国統治下の香港同様、ポルトガルの支配下にあった。
 1974年、ポルトガルに「リスボンの春」と呼ばれる「民主化」が起きた。臨時政府を経た後、マリオ・ソアレスを首班とする左翼政権が誕生している。その時、ポルトガル政府は、海外植民地の放棄―マカオの中国への返還―を考えた。
 だが、中国共産党は、マカオの扱いに困惑し、その後もポルトガルに統治を委ねたのである。実際、マカオがポルトガルから中国へ返還されたのは、その4半世紀後だった。
 さて、しばしば、マカオは香港と比較される。マカオの面積(28.6平方キロメートル)は香港のそれ(1104平方キロメートル)と比べ、約39分の1しかない。
 けれども、マカオの人口(約67万2000人)は、香港のそれ(約752万4000人)と比べ、約11分の1である。当然、マカオの人口密度は、香港よりもずっと高い。
 他方、マカオの1人当たりのGDPは年約11万1600米ドルである。それに対し香港のそれは、約6万4800米ドルである。マカオ市民は、香港市民よりも2倍近く豊かだと言えよう。
 マカオは「東洋のラスベガス」と呼ばれ、同経済は、主にカジノで潤って来た。だが、近年、マカオの経済構造は多元化し、ギャンブルへの依存度は低下しつつある。
 マカオ経済全体に占めるギャンブル分野のウエイトは、昨2018年には50.5%まで低下した。そして、非ギャンブル分野(金融業、漢方医療、文化産業等)が50%近くを占めるようになった。そして、マカオ政府は、12年連続で市民に現金を配布している(今年は1人当たり13.3万円が配られた)。
 元来、香港は「借りた場所、借りた時間」であった。香港は、次の地(米国・英国・豪州・カナダ等)へ移民するため、そのステップとする場所にすぎなかったのである。そのため、香港に“政治の季節”が到来するのは遅かった。
 英国統治下の香港は、中国への返還直前に「民主化」が起きている。「民主化」は、最後のパッテン総督の強い願いだった。
 そして、若者は、「香港人アイデンティティ」を持つようになったのである。
 更に、20世紀には考えられなかった「香港民族」、「香港独立」というタームさえ出現した。
 他方、マカオは、中国の「文化大革命」期に「親中派」勢力が伸張したせいか、その後、「民主化」が起こらなかった。香港とは異なり「マカオ人アイデンティティ」が芽生えなかったのである。だから、彼らは広東語を話すけれども、未だに「中国人アイデンティティ」を持つ。
 ただ、マカオでもデモが発生する事もある。 2014年5月、マカオ政府高官に多額の退職金と年金を支給する法案に抗議して、2万人(主催者発表)規模のデモが起こった。その結果、マカオ政府は法案を撤回させている。
 現時点では、マカオは順調に経済発展している。けれども、今後、経済が悪化した際、マカオ市民は政府に対して、どのような行動を取るのか。やはり、香港同様、「民主化」を求めるのだろうか。