ロシア情報機関、日本の先端技術を狙う、その意図は

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政策提言委員・元公安調査庁金沢公安調査事務所長 藤谷昌敏

ソフトバンク社員に対するスパイ工作
 最近、携帯電話会社ソフトバンクの元社員がロシアの対外情報庁SVRに所属する者にスパイ工作をかけられ、営業秘密に該当する情報を漏らす事件が発生した。
 報道をまとめると、警視庁公安部は1月25日、勤務先だった通信大手、ソフトバンクの機密情報を不正に取得したとして、同社元社員、荒木豊容疑者(48歳、千葉県浦安市)を不正競争防止法違反(営業秘密の領得)の疑いで逮捕した。警視庁公安部は荒木容疑者が取得した機密情報を在日ロシア通商代表部の職員らに渡したとみており、逮捕容疑は2019年2月18日、自身が勤務していたソフトバンクのサーバーにアクセスし、同社の営業秘密である機密情報など計2点を複製し不正に取得した疑いである。警視庁は25日、外務省などを通じ、既に帰国した元職員の男を含めた2人を出頭させるようロシア側に要請した。このうちの1人は、在日ロシア通商代表部のアントン・カリーニン代表代理(52歳)であり、ロシア対外情報庁(SVR)に所属するとみられている。
 荒木容疑者は、当時通信設備構築プロセスの効率化業務を担当しており、2017年4月当時は「テクノロジーユニット モバイル技術統括 モバイルIT推進本部 無線プロセス統括部 統括部長」だった。持ち出された文書は電話基地局等の通信設備関連工事の作業手順書(工程管理のマニュアル)であった。
 ソフトバンクは、持ち出した情報は高機密に分類される情報が一切含まれていないこと、機密性の高い情報に対するアクセス権限を保持していなかったこと、社内システム、ネットワークに対する外部への不正アクセスの痕跡、不正プログラムの検知はないなどと公表した。
 
これまでのロシアスパイの対日工作
 ソフトバンクの宮内謙社長は2月7日、「大変ご心配をおかけした」と陳謝し、今後、社員教育の徹底や、社員の情報アクセスを監視するソフトを導入するなどして再発防止に努める考えを示した。その中で宮内社長は、「彼自身は、まじめな人物だったが、ロシアの古典的なスパイ活動に、つい、はまってしまったということではないか」と話した。
 宮内社長の言うロシアの古典的なスパイ活動、いわゆるヒューミントは長い歴史を持ち、未だに世界の情報機関の主要な情報収集手段として活用され、決して古典的なスパイ活動ではない。ここ数年のロシアによる主な対日工作事件の例を挙げれば、①ボガチョンコフ事件(2000年)海上自衛隊三等海佐が在日ロシア大使館に勤務する海軍武官から工作を受け、現金等の報酬を得て、海上自衛隊内の秘密文書の写しと内部資料をロシアに提供していた。ボガチョンコフは軍の情報機関GRUの所属であった ②サベリエフ事件(2005年)在日ロシア通商代表部員が、2004年9月ころから2005年5月ころにかけて、日本人会社員から、その勤務先の会社の先端科学技術に関する機密情報等を不正に入手し、日本人会社員に多額の報酬を支払っていた ③ベツケビッチ事件(2006年)在日ロシア通商代表部員の工作を受けた日本人の元会社員が、その勤務先の企業が所有するミサイルの制御や誘導に転用できる「VOA素子」を窃取し、これを在日ロシア通商代表部員に提供した ④教範流出事件(2015年)元陸上自衛隊幹部が退官後の2013年5月に、ロシアの駐在武官に対して、陸上自衛隊の普通科部隊の運用についての教範などを渡していた。
 
ソフトバンク事件のロシア側の意図について考える
 今回の事件について、ロシア側の意図を「単に協力者がいるという事実が欲しかった」「取り扱い注意の文書が欲しかっただけ」などという推測記事が散見されるが、私は同意しかねる。日本の場合、警察が人手不足でスパイ防止法もないことから、ロシアの情報機関内では以前から最も仕事がしやすい国とされ、高度な情報でなければ上層部から認められないことが通常だからである。また、ロシアの情報機関は、重要な協力者しか、新任の情報機関員へ引き継ぎすることはない。ソフトバンク社員を引き継いだ新任の情報機関員の地位・年齢から考えても、このソフトバンク社員が重要な協力者と見られていたことは間違いがない。
 それならば、なぜ、それほど重要と思われない資料(電話基地局等の通信設備関連工事の工程管理マニュアル)が狙われたのであろうか。
 今回の事件の背景には、世界が5G時代にひた走る中、ロシアの技術的立ち遅れという問題がある。5Gに必要な多数の基地局を建設するための技術的経済的ノウハウや運用方法を研究するためには時間・費用がかかり、これらを省力化するために広範な技術情報を収集しても何ら不思議なことではない。
 私は、今回のソフトバンクの事件の場合、ロシア側に渡した資料だけに着目するのではなく、ロシア側が今後、ソフトバンク社員をどのように活用していくつもりだったのかに注目したい。例えば、このソフトバンク社員を足掛かりとして通信関係の複数の企業や総務省などの官庁関係者を新たな協力者として取り込む可能性などである。
 残念ながら、今回の事件においても、ロシアの情報機関員から証言をとることができず、ロシア側の真の意図がどこにあったのかは未解明であり、推測するしかない。ただ、公務員を対象とした限定的な特定秘密保護法(2014年施行)では、外国の情報機関の活動を抑止することはできないということだけは明白になったといえる。日本は未だにスパイ天国であり、今回のソフトバンクの事件は氷山の一角でしかない。今後、先端技術がますます重要視されていく中で、今回のように民間会社を舞台とした事件が多発する可能性は十分あり、一刻も早いスパイ防止法の制定を望みたい。