「ベスト」な対策は望めない段階に入った新型肺炎
~指導者と国民に求められる「国家の危機管理」~

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政策提言委員・元航空支援集団司令官 織田邦男

 中国武漢市に発したこのウイルスは、インフルエンザと同等以上の感染力がある。感染者さえ気づかないことがあるので、感染の足取りが辿れない形で世界中に広がっている。未だ特効薬がないから厄介だ。3月3日現在、日本での感染者数は980人であり、12名が亡くなっている。

 2月27日、安倍晋三首相は3月2日から春休みまでの間、小中高の学校を休校するよう国民に要請した。小池百合子都知事は都の対策会議で、「今は有事です」と述べた。鈴木直道北海道知事は「緊急事態」を宣言した。まさに国家の危機であり、国家の危機管理が求められている。

 危機管理には次の4段階がある。①「未然防止」(Preparedness) ②被害局限(Mitigation) ③応急対応(Response) ④復旧・復興(Recovery)の4つである。 

 危機管理でいえば、①の段階として「水際でウイルスの侵入阻止」が望ましかった。だが、中国政府の情報開示が遅れ、結果的に「水際阻止」には失敗した。初動での「失敗」を危機管理の最中にあげつらっても意味はない。次に何を為すべきかである。

 事態は②③の段階に移行した。被害の最小限化、拡大防止、異種の危機への波及防止に注力することだ。この段階で重要なことは、もはや「ベストはない」ということである。マイナスを局限した功績をプラスとみなす発想が必要であり、もはや感染ゼロという「最善」はなく、感染局限という「次善」の策を追求することである。

 政府は2月24日、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議を実施し基本方針を公表した。この中で「感染の拡大が急速に進むと、患者数の爆発的な増加、医療従事者への感染リスクの増大、医療提供体制の破綻が起こりかねず、社会・経済活動の混乱等も深刻化する恐れがある」と最悪事態を想定した。

 これを避けるため、「これから1~2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際」とした。このため政府は不要不急のイベントや、集会は控えるよう国民に訴え、首相は学校の閉鎖を要請した。

 危機管理には集中の原則が求められる。「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」という言葉がある。孫子の兵法には「至る所守らんとすれば、至る所弱し」とある。危機管理にあっては、集中して、そして徹底してやらねばならない。様子を見ながらという「兵力の逐次投入」は厳に戒めねばならない。

 他方、集中の決断には罵詈雑言に近い批判はつきものである。国内外から「そこまでやらなくても」「過剰反応した」といった批判が必ず起こる。

 政府が先述の基本方針を示した際、これに対するメディアの対応は「総理の顔が見えない」「リーダーシップが感じられない」の批判一色であった。他方、ここ約2週間が大事との認識で、安倍首相が小中高の学校閉鎖を独自で決心した時には、一転して「唐突すぎる」「国民の迷惑も考えず」「まるで独裁者だ」との批判一辺倒であった。だが危機管理上は総理の決断は正しい。

 メディアを含め国民が未だ危機管理を理解していない証左なのだが、危機管理のリーダーには、こういった批判や罵詈雑言に耐える胆力と覚悟が求められる。他方、危機管理においては、国民にはリーダーの決断を理解し協力することが求められる。

  「ダイヤモンド・プリンセス号」の対応を危機管理からみればどうか。乗員乗客3711名の中から706名が感染し、6名が死亡している(3月3日現在)。検査と船内待機の間、密閉された船内空間で、次々に感染者が増加した。一見非情にもみえるが、乗員乗客を船内に止めおいた措置は危機管理上は正しい。問題は船内での感染症の措置であるが、この対応に国内外から厳しい批判が浴びせられた。

 米国の連邦緊急事態管理庁(FEMA)には「FEMAの原則」と呼ばれる事態対応原則がある。事態が起きた場合、①信頼できる部下を現場に派遣せよ ②現場に裁量の権限を委任せよ ③日頃から信頼できる部下(腹心)を育成せよ というものである。

 今回、「ダイヤモンド・プリンセス号」の現場には医師団、厚生省の役人、そして自衛官等が投入された。現場が最も情報を持っているのであり、現場しか分からないことも多い。「FEMAの原則」にあるように、現場に人員を投入したら、現場を信頼し、全てを任せることが危機管理には求められる。

 現実には、メディアによる無責任な批判が蔓延った。コメンテーターと称する人達が、自らはスタジオという安全なところに身を置き、現場の実情、苦労も知らないまま、勝手な批判をする。民主主義の宿命なのだが、こういう無責任な批判は危機管理上、全く意味がない。寝食を忘れて最善を尽くしている現場のやる気を削ぐだけであり、百害あって一利もない。

 某大学教授が船内に入って約2時間滞在し、感染対応の不具合をネットで批判して話題になった。メディアは大々的にこれを伝えたが、これも危機管理への無理解が大きい。感染症対応上の不具合があれば、対策本部を通じて現場医師団に意見具申し、改善を促すべきである。本人は英雄気取りかもしれないが、ネットで公開しても意味はない。結果的に現場の邪魔をしたに過ぎない。命を懸けて最善を尽くしている現場の後ろから鉄砲を撃つような行為は、現場を疲弊させ、結果的には国際社会における日本の評判を落としただけだった。

 危機管理は減点法であり、うまくいって当たり前、失敗すれば非難される。そして最善はないが、最悪はありうる。これが危機管理の特徴である。実情を知らない「外野」は、最前線で寝食を忘れ、命をかけて頑張っている現場を信頼し、感謝と敬意を払い、物心両面で支援する。これが国民に求められる「ワンチーム」の姿である。危機管理の最中に「批判」「責任追及」「進退問題」「罵詈雑言」等は厳に慎まねばならない。徹底した検証、そして責任追及は事が収まった後にやる。これは危機管理のイロハなのである。

 国家の危機管理に求められるのは指導者のリーダーシップと国民のフォロアーシップである。平時においてもリーダーシップは大事だが、危機においてはその重要性が更に拡大する。同時にリーダーシップと共に、国民のフォロアーシップ、つまり国民一人一人が重要性を理解して、積極的に協力することが欠かせない。危機管理は政府だけでやるものではない。国民一人一人の理解と協力がなければ危機管理は成功しないのだ。

 1995年、地下鉄サリン事件が発生した。この時、朝野を挙げてメディア、国民は大騒ぎした。だが、事件が収束した後、憑き物が落ちたように熱は冷め、教訓を引き出そうという発想は消えてなくなった。残ったのは慰霊祭と裁判のみだった。この二の舞を踏んではならない。ウイルス感染は今後も日本に押し寄せることは十分考えられる。徹底して教訓を学び、国民はこれを共有し、危機管理に強い日本を作っていくことが求められている。

(令和2年2月4日付・「JBpress」より転載)