イージス・アショア導入断念で日米同盟に亀裂も
―弾道ミサイル防衛のあり方を早急に見直す必要あり―

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政策提言委員・元航空支援集団司令官 織田邦男

 6月15日夕刻、河野太郎防衛大臣は、記者団を急遽招集し、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」(以下「陸上イージス」)の導入計画停止を発表した。
 
 日本のミサイル防衛は、飛来する弾道ミサイルを、中間段階(ミッドコース・フェーズ)において、海上自衛隊イージス艦が装備するSM3ミサイルで迎撃すると共に、撃ち漏らした場合、終末段階(ターミナル・フェーズ)で航空自衛隊が装備するPAC3ミサイルで迎撃するという2段構えの態勢をとっている。
 
 海自イージス艦は8隻(現在は7隻)体制を計画している。もともとイージス艦は日本周辺海域のシーレーン防衛が本来任務であり、弾道ミサイル防衛に特化して運用するわけにはいかない。また8隻という数の制約もあり、北朝鮮の弾道ミサイルに備えて、常時日本海に待機させておくのも難しい。しかも天候、気象によっては、海域に進出できないこともあるし、乗員の休息も考慮しなければならない。
 
 このため、イージス艦の弾道ミサイル迎撃システムをそっくり陸上に配備し、24時間、365日、弾道ミサイル防衛を可能にするというのが陸上イージスの構想であった。政府は2017年12月、陸上イージス導入を決め、秋田県、山口県の陸上自衛隊演習場に配備し、ほぼ日本列島全域を常時弾道ミサイル防衛態勢下に置こうとした。まさに陸上イージスを日本の弾道ミサイル防衛の要と位置付けてきた。
 
 今回、この計画がいとも簡単に中止となった。厳密に言えば「導入計画の停止」であり「中止」ではないが、事実上中止と言っていい。首を傾げざるを得ないのは、中止の理由が、民間地域へのブースター落下を防げないことが分かったというものである。
 
 報道によると、防衛省はこれまで、候補地である秋田、山口両県民へ「迎撃ミサイルから切り離されるブースターは演習場内に確実に落下させる」と説明し、安全性を力説してきた。システム製造元の米側とは、ソフトウエアの改修で安全性を確保しようと調整してきたが、ミサイル発射装置などの改修も要し、改修には数千億円の費用と十数年の期間を要することが判明したため導入計画停止を決定したという。
 
 ブースターの重量は約200キロあり、住民の不安は理解できる。だが釈然としないものが残る。
 
 北朝鮮は約60発以上の核弾頭を保有すると見られている(米国防情報局)。また「北朝鮮が全ての核兵器を放棄する可能性は低い」と米国の情報筋は断定する(ダニエル・コーツ前国家情報長官)。今でも「日本列島を日本海に沈める」と恫喝してやまない北朝鮮が、もし核弾頭ミサイルを日本に撃った場合、少なくても数十万人の被害が予想される。
 
 現行法制上、迎撃ミサイルを発射する時は、日本の領域に弾道弾ミサイルが着弾することが予測される時である。迎撃しなければ大規模の犠牲が確実に予想される時なのである。
 
 ブースター落下による住民被害を懸念するあまり、数十万人の被害が予想される核ミサイルを迎撃する中核的手段を、代替手段を提示することもなく放棄するという政策決定は果たして合理的と言えるのだろうか。ブースター落下の可能性のある地域住民に対し、避難用シェルターを準備し、情勢緊迫時には事前に避難してもらう。こういう検討も一切ない。
 
 これまでの地元説明と大きく違っていたから、とりあえず「計画停止」というのは如何にも日本的である。だが筆者も約40年間、防衛の最前線にいたから十分に理解はできる。
 
 他方、まるで「1匹の迷える羊を救うために、99匹の羊を犠牲にする」というような理由での計画停止は、国際的には通用しないことは理解しておく必要がある。筆者は、同盟国である米国に対し、日本は発想や価値観の異なる国と思わせることになりはせぬかと懸念する。
 
 今から約40年前、冷戦華やかなりし時だったが、筆者は米空軍大学に留学し、核戦争の指揮所演習での議論を覗いたことがある。簡単にいうと、A案を採れば、米国民の被害が数百万人出ることが予想される。B案では数千万人の被害が予想される。A案、B案の国益上の利点、欠点はこうこうである。進行中の外交交渉が破綻した場合、大統領はいかに決断すべきかといういわば頭の体操である。局限状況における合理性追求のための思考トレーニングといえる。
 
 国益に照らし、究極の現実主義的発想と合理的判断を日々演練している国家にとっては、「1匹の迷える羊を救うために、99匹の羊を犠牲にする」といった宗教家や小説家が口にするような発想とは無縁である。
 
 今回の「計画停止」の決断を「1匹の迷える羊を救う」に例えるのは不適切かもしれない。だが、「ブースター被害予想」だけで代替案もなく、要として位置付けてきた弾道ミサイル防衛手段をいとも簡単に放棄し、数十万人、数百万人の国民を危険に晒すという決定は、同盟国の米国からみれば、日本は全く価値観の異なるエイリアンのような存在に見えても仕方がない。
 
 同盟は、キッシンジャーが指摘するまでもなく「紙ではなく、連帯感」である。発想や価値観が異なるエイリアンとは連帯感など生まれようはないし、同盟を結んでも紙上の同盟になりかねない。こういうところから同盟の崩壊は始まる。
 
 日本は現在、中国、北朝鮮、ロシアという核保有国に囲まれている。だが、それでも非核三原則を国是として、安閑としておれるのは、米国核戦略による拡大抑止効果が効いていると信じているからだ。つまり、東京が核攻撃されても、米国は必ず報復してくれる。たとえ報復連鎖によってワシントンが核攻撃の危険に晒されても・・・と。この拡大抑止効果によって日本を攻撃しようとする邪な意図を抑止できると信じているからである。
 
 あるかないか分からないブースター被害を懸念し、なんら代替手段や補助手段を検討することもなく、数十万、数百万の国民の生命、財産を守ることを簡単に放棄するような国を同盟国米国はどうみるだろう。拡大抑止は同盟国同士の連帯感によって成り立つものだ。日本は自らが連帯感を瓦解させ、拡大抑止効果を減殺させようとしているとしか思えない。
 
 更に技術的なことを言えば、首都圏に配備するPAC3による迎撃も、理論的にはできなくなる。政府はこれをどう説明するのか。PAC3のブースター落下はないが、迎撃したら落下物は必ず地上に落ちる。迎撃に失敗してもPAC3本体は地上に落ちる。地上に落ちれば、被害が出る可能性があるのは、今回の「ブースター落下」と同じである。PAC3の場合は別と強弁すれば、それはダブルスタンダードである。
 
 最近、北朝鮮が発射したミサイルには、兆候を掴みにくい固体燃料を使用し、通常よりも低く不規則な弾道を描く新型短距離弾道ミサイルが含まれている。また迎撃ミサイル数を上回る数の弾道ミサイルを撃ち込むという飽和攻撃の可能性もある。これらは陸上イージスでも対処は難しいのも事実である。これを理由にミサイル防衛全体を見直すということであればまだ分かる。
 
 ある意味、今回の騒動で、日本のこれまで整備してきたミサイル防衛の問題点が露見したと言えないこともない。安倍晋三首相は、6月18日、国会閉会時の記者会見で、「抑止力強化の為に何をすべきかを徹底的に議論し、新しい方向性を打ち出し、速やかに実行に移したい」と述べた。敵基地攻撃能力獲得を求める声があることにも触れ「受け止めていかなければならない。政府においても新たな議論をしていきたい」とも述べた。
 
 2015年に改定された現行の日米ガイドラインでは、ミサイル防衛は日本が「主体的」に実施し、米国はこれを「補完、支援」することになっている。しかも米国の定義では「弾道ミサイル防衛システム」には「発射前のミサイル脅威を破壊する能力を含む」(“This system will include the ability to defeat missile threats prior to launch.”)とある。(米国国家安全保障戦略2017年12月)
 
 日本ではこれらを無視したまま、「敵基地攻撃能力」は米国の反撃能力に期待するという手前勝手な「矛と盾」という穴ぐらに逃げ込み、思考停止してきた。日米の約束であるガイドラインでは、「発射前ミサイル脅威の破壊」という「敵基地攻撃能力」はミサイル防衛に含まれ、日本が主体的に整備することになっていることを今一度直視すべきである。
 
 国民を何がなくても守るという堅確な信念を失った国は、米国にとって異質なエイリアンであり、同盟国たりえない。エイリアン的存在の国には、ここぞという時に米国の拡大抑止政策は効かないだろう。そうなれば、根本から日本の核抑止政策を見直さねばならなくなる。
 
 今回の騒動は、全面的に弾道ミサイル防衛について考え直す良いチャンスである。だが、残された時間はそう多くない。材料はそろっており、今すぐ検討し早急に結論を出すべきだ。米国の拡大抑止戦略が瓦解すれば、非核三原則など成り立たないことを自覚すべきだろう。
 
(令和2年6月21日付・「JBpress」より転載)