インドと中国の国境紛争
―看過された処方箋―

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マノハール・パリカル国防研究所東アジアセンターセンターコーディネーター兼リサーチフェロー ジャガンナート・パンダ

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 2020年9月10日、インド・中国間で「共同声明」が発表された。これは歴史的に見ると、大まかに以下の2つに分類される。1つ目は両国間の繋がりまたは信頼を公然と表明すること、2つ目は悪化しがちな状況や関係のやり繰りに努めることであるが、かつては「アジアの世紀」を決定づける要素と見られていた印中関係が今では瓦解間際にあり、今回の「共同声明」は後者に該当している。
 
 インドのジャイシャンカル外相と中国の王毅外相の会談後に発表されたこの「共同声明」では、主要なポイントが5つ述べられており、印中関係に数十年かけて築かれた枠組みである当初の「パワー・パートナー」枠組みへの回帰が期待されている。
 その5項目とは、(1)相違点の紛争化回避、(2)対話の追求と陸上での軍事的不行使、(3)既存の全ての合意と協定の受容、(4)特別代表(Special Representatives:SRs)レベルでの対話と印中国境問題に関する協議及び調整のためのワーキングメカニズム(Working Mechanism for Consultation and Coordination on India-China border affairs:WMCC)の推進、そして(5) 平和及び安定の維持のための新たな信頼醸成メカニズム(Confidence Building Mechanisms:CBMs)への取り組みである。
 昨今の印中国境衝突の文脈においては、これらはいずれも大きな意味を有しているが、特に5つ目の目的については、より深い重点的な考察が求められる。既存の取り組みでは緊張関係の解消がほとんど上手くいっていない中で、両国が言及している新たな信頼醸成メカニズムとはどのようなものだろうか?
 
 信頼醸成メカニズム、対話、合意や協定は、特に国境を巡る緊張関係の解消において、常に印中間の関与の基礎をなすものであった。大使レベルでの公式な接触は1976年夏に再開していたが、真の意味での政治的な交流が両国間で動き出したのは、当時のアタル・ビハリ・バジパイ外相が訪中した1979年である。国境を巡る正式な会談は1981年に始まり、その後は1988年まで8度の会談が行われている。その間、あらゆる二国間関係の進展が既存の国境紛争によって妨げられてはならないという認識が両者、特にインド側からなされていた。
 
 1962年に起きた印中国境紛争後の関係正常化は、1988年に当時のラジーヴ・ガンディー首相の訪中により実現し、両者は国境問題に関する新たな解決策として合同作業部会(Joint Working Group:JWG)を設置することで合意した。この合同作業部会は1988年から2002年の間に14回開催されていたが、具体的な解決策を見出せずにおり、それどころか、より高レベルでのメカニズムが国境問題解決の糸口となるという期待とともに、特別代表、外交そして軍事レベルでの新たなメカニズムが提案されていた。2003年以降は、特別代表者会合が国境問題における最も重要な交渉手段とされ、この対話を維持する措置が、2012年1月に開催された第15回特別代表者会合で設置されたWMCCである。
 
 過去数年間で22回に及んだ特別代表者会合のような国境を巡る幅広い仕組みがあるにもかかわらず、印中両国は未だに解決策を見つけることが出来ていない。何故ならば、このような問題解決には両者の間で大きな妥協と、より重要なのはお互いが相手に向けている目論見に対する固定観念の変化が要求されるからである。ところが、地政学的秩序の変化と解決困難な問題の悪化(例えば、前例のない突発的な新型コロナウイルスの感染拡大)が日常的に見られる中では、対立関係にある国家間での認識において、そのような認識の一致を見出すことは極めて困難である。信頼醸成メカニズムや合意形成、そして特別代表者会合が紛争解決にほとんど功を奏していない大きな理由がここにある。それ故に、現在の国境問題は、既存のメカニズムが失敗したという技術的側面というよりは、むしろ国家の気質と戦略的必要性の結果であると述べることは誤りとは言えない。従って、新たな信頼醸成メカニズムやその他の仕組みを作っても、それが目の前の問題に対する解答になるとは限らない。
 
 その代わり、両国は二国間関係を成熟させる1つの手段として、既存の仕組みに純粋な関心と中国側の歩み寄りの覚悟と共に、集中しなくてはならないだろう。2014年の共同声明では、あらゆるレベルにおいて政治的対話と協議を活発化させるだけでなく、政治的意思疎通を強化し、戦略的信頼関係を深めるため、より緊密な発展的パートナーシップ構築の着手が明確にされていた。(2020年に両国の軍隊が衝突した)ガロワン渓谷での紛争が起きた今日では、印中両政府がこの目標に向けた姿勢を再び明示すべきである。両者は経済的利益こそ一致させてきたが戦略的利益では折り合いがつかず、これが「制約付きの協力関係」の原因となっていた。これを克服するには、実効支配線(Line of Actual Control:LAC)における平和と安定を確保すると同時に、平和共存五原則に基づく友好的な交渉による紛争解決への努力を継続し、二国間関係の発展を優先することに注力しなくてはならない。
 
 同時に、インドと中国は国境紛争を巡る新たな信頼醸成メカニズムを案出する前に、既存の取り組みに力点を置くべきである。実際、これらのメカニズムはかなり包括的な内容ではあるが、両国の今日における現実を反映した形で再構成されるべきかも知れない。民主主義のインドと共産主義の中国は、共に経済、軍事そして政治分野ではナショナリズムで成長する、そのため、どちらの現政府もそれぞれのナショナリスティックな申し入れのせいでより深い支援を取り付け、関係を一層複雑なものにしている。
 
 このような状況の下では、信頼醸成メカニズムの再活性化と再編が平和維持プロセスの促進に重要な要素となり得る。軍の高官同士を繋ぐホットラインの設置といった紛争回避措置(Conflict Avoidance Measures:CAMs)や、より広範な民間交流と歴史の教訓の学習といった平和構築措置(Peace Building Measures:PBMs)への投資も含めるべきであり、こういった方針でインドの総作戦部長(Director General of Military Operations:DGMO)と中国人民解放軍西部戦区(Western Theatre Command:WTC)間の緊急ホットラインのような手段も既に講じられている。それでもなお、関係改善と国境紛争解決への純粋かつ具体的な関心を中国が示さないと、このような約束や取り組みは効果がないままであるだろうし、現況では実現しそうもない。
 
 圧倒的な経済力で中世の栄光への回復を目論んでいる中国は、修正主義者的な要求において断固とした姿勢を貫いており、二国間会合への参画も平和継続を真に望んでいるというよりは、むしろ利己的な国益に突き動かされている。他国との国境紛争においてさえ、自国の国益に適う歴史解釈を根拠に領土全体の権利を主張している。南シナ海の90%を占める「九段線」を持ち出したことがその実例である。中国はLACにおいても同様に好戦的で非妥協的な姿勢を取っており、問題解決のために更なる仕組みを作ろうとしても、大した信頼性も生まれることはない。見たところ、直近の「共同声明」もこの類のステップに過ぎない。
 
 さらに、習近平政権の中国は、より国粋主義的で独断的になっている。2021年は中国共産党結党100周年にあたるため、彼らはナショナリスティックな支持の更なる増強に目を向けるだろうし、このことは中国共産党を近視眼的にし、面子を損ねるような紛争解決にも消極的な態度を取らせることになってしまう。彼らは既に党の前途に神経質になっている。国内の情報統制に努めれば、それだけ香港や内モンゴル自治区で見られるような抗議活動が増加し、党の行く末にも陰りが生じてきている。それ故に、習政権の対外政策と党内での彼の将来性は、中国共産党の権力構造と党内の打算によってますます突き動かされてしまう。
 習政権が繰り返し喧伝してきた「中国の平和的台頭」という物語は、国際社会や民衆のチェックの下ではもはや長続きしない。そのため、中国共産党は拡張する領域と支配的立場の確保を、地球全体における力の持続と発展のために不可欠なものと見做しているのである。
 
 このような考え方に導かれた中国の対インド政策は、大きな誤認と誤解に特徴づけられている。中国の指導者は、インドをお互いの成長と繁栄を追及する潜在的パートナーとして認めるというよりは、自国のグローバルな地位への出世に対する、恐らくは間もなく脅威となり得る興隆国家として認識し、アメリカや日本、オーストラリアといったインド太平洋地域の国々との互助関係だけを創造する「疑わしい」主要国としてアプローチしており、中国は両国間の橋渡しと包括的な関係追求に努めることはしていない。
 
 従っていかなる紛争解決にも、中国側の対インド認識の見直しが求められる。つまり、成長するインドの力を受容し、カシミール地方のような敏感な問題でもインドの主権を尊重し、そして交渉のプロセスにおいてインドの国益を容認して積極的に関与しなくてはならないのである。インドを受け入れ可能なパートナーとして、そしてアジアを構成する一員として中国が認める場合に限り、両国による効果的な二国間関係の正常化が可能となる。