共産主義理論の変なところ

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政策提言委員・元参議院議員 筆坂秀世

 私が参院議員時代に国会秘書をしてくれたこともある篠原常一郞氏の著書『日本共産党 噂の真相』(育鵬社)が出版された。読みやすい筆致で、私が知らないことも沢山書かれていて、興味深く読んだ。篠原氏の著書を読んで、改めて共産主義理論のおかしさを考えてみた。
 マルクス、エンゲルスが打ち立てた共産主義理論の最大の核心は唯物史観(史的唯物論)である。唯物史観とは、マルクス主義の歴史観である。これまで人類の歴史は、原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義というように発展してきた。次には、資本主義から社会主義への発展である。これは「歴史的必然」だというのである。
 でも歴史的必然なら、共産党も、革命運動も必要ないのではないか、という素朴な疑問が湧き出てくる。平成天皇の教育責任者や慶應義塾大学の塾長を務めた経済学者に小泉信三という人がいる。この人の著書に『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)というのがある。この中で小泉氏は次のように指摘している。
 〈もしも歴史的因果の系列が、絶対的に変更し難いものとして、将来に向ってすでに決定しているという意味において、必然的であるならば、一切の人間の努力、したがって社会運動は全く無意義であり、よし歴史は人間の心意を通じて経過するとしても、それがかかる絶対的の意味において必然的であるならば、それはあたかも「朝日よ、昇れ」、「四季よ、循(めぐ)れ」といって努力するにも等しいこととなるであろう〉
 一方で社会主義への移行は歴史的必然論といいながら、他方では革命を推進する共産党の存在を肯定するというのは、自家撞着以外の何ものでもない。
 もう一つ。エンゲルスは、「あなたは何主義者か」と尋ねられたとき、「進化主義者だと答える」と語ったそうである。共産主義理論は、進化論なのである。最近はどうか知らないが、日本共産党の中では、よく「社会の発展法則」などという言葉が使われたものである。
 ところが共産主義社会が実現してしまうとそこで進化・発展が止まってしまうというのがマルクス主義なのである。小泉氏は次のように指摘する。
 〈マルクスの場合、共産主義の実現とともに、人類はその為し得る限りの最高の発展を成就し、もはやそれ以上の進歩はあり得ぬものとされているように見える〉
 〈資本主義の矛盾が共産主義への発展によって止揚せられた後、さらにこの共産主義そのものの内から、それに対する否定が起こってこなければならぬはずである。共産主義に対する否定は、私有財産制度以外には考えられぬ〉
 小泉氏が指摘する通りマルクスやエンゲルスは、その点については全く触れていない。結局、共産主義は人類が到達する最高の歴史的段階ということなのである。
 進化が停止する社会ということは、社会発展の理論である唯物史観とここでも大衝突する。共産党では科学的社会主義などというが、このおかしさは非科学的と言うしかない。