「日本学術会議と共産党」
―「結束した5人のグループ」で委員長を取るカラクリとは―

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会長・政治評論家 屋山太郎

 日本学術会議についての論文をあらかた読んだが「核心の問題はこれだ」と思うほど説得力のあるものはなかった。私は「政府と共産党の問題」だと思う。内閣が原子力開発推進の方針を決める。一方で日本学術会議が「原発開発反対」の声明を出したらどうなるか。れっきとした政府機関が正反対の結論を出せる仕組みが誤っているとしか言いようがない。
 1982年の雑誌「諸君」1月号(文芸春秋社)に私は「学術会議解体のすすめ」を書いた。当時の学術会議は学者による選挙だった。選挙と言えば共産党のお家芸である。何回かの選挙のうちに学術会議は完全に共産党に乗っ取られる状況になった。当時、国会では衆院約500名中共産党は50名に満たなかった。だからこそというべきか、共産党は学術会議選挙に専心した。過去に触れたが、数字を誤ったので改めて書く。
 仏文学者の桑原武夫氏は21年間、学術会議員で、4期12年にわたって学術会議副会長を務めた。その学術会議の裏の裏まで知る人物がこう書いている(桑原武夫集第7巻、岩波書店)。
 「会議ではすべて過半数をもってことが決まる。たとえば15人の委員会なら、決済に必要過半数は8議席だと思っていたが、時として5票で足りる場合があることを知ったのである」。桑原氏はある15人で構成される委員会の例を挙げ10人しか出席しないこともあり、その中で「結束した5人のグループ」があれば委員長を取れるからくりを描いている。氏は「左派の結束は固かった」と驚嘆し、確信的思想の5人の理屈に負けて残りの5人は途中で退席してしまう。「私は『自由主義者(リベラル)』ほどあてにならぬものはないと理解した」と書いている。
 当時、第6部が原子力を担当しており、その親玉が福島要一氏だった。会議のあと私は福島氏のあとをつけて行ったことがある。氏が代々木の共産党本部に入っていったのには驚いた。しかも福島氏は学者でない。元農林官僚の運動屋の類の人だった。
 ことほど左様に旧日本学術会議は共産党に占拠されていたのである。国会で一割にも満たない共産党は学術会議を楽に牛耳っていた。自分の党の方針を貫くために政府の窓口の1つを奪う。これは議会主義、議院内閣制をぶち壊す行為だろう。このため政府は学者同士の選挙制をやめ、学会の中での推薦制度に改めた。改革当初はバランスよく選抜されたが、任期切れに当たって、「特定の候補者の推薦を依頼される」ことが多くなり、全体が左へ左へと寄って行ってしまった。
 今回任命を断られた6人は全員左派。当然、共産党員も含まれるだろう。各政党は国会で多数を握って、政治を制しようと思っているが、共産党は国会で何が決まろうが、ひたすら自己の方針を貫く。それが「三権分立を崩してもよろしい」という考えの持ち主だ。学術会議は純民間にして、軍事研究もすべきだ。
(令和2年11月11日付静岡新聞『論壇』より転載)