コロナ・ウィルスが一向に収まらぬ中で行われた今回の日米首脳会談は、菅総理がバイデン大統領の就任後初めて三次元の世界で面談した外国首脳だったことに加え、日米安保条約の精神に立ち返って同盟を立て直し、強靱化していく道筋を示した意味において多くの新鮮な内容を含む会談になった。
発表された日米首脳会談共同声明は、前文とあとがきを除けば、外交と防衛に関する方針を示した「自由で開かれたインド太平洋を形作る日米同盟」と経済、環境、衛生政策のビジョンを示した「新たな時代における同盟」の2つのパートからできている。英語版の声明では前者は単語数で全体の約37%、後者は約39%とほぼ同じ分量で語られている。
「自由で開かれたインド太平洋を形作る日米同盟」のパートは、首脳会談に先立って3月16日に行われた日米安全保障協議委員会(2+2)の共同発表の内容を確認し裏書きした部分である。2つの文書に齟齬はなく、共同声明は分量が多い分だけより具体的に記述している。日米同盟が普遍的価値及び共通原則(universal values and common principles)に対するコミットメントに基づく自由で開かれたインド太平洋のための共有されたビジョンを推進する上で、中国と北朝鮮への懸念が国名を挙げて具体的に言及されている点も同じである。
ただし、中国、北朝鮮ともに個別の行動が地域の課題と認識され、民主主義対権威主義といった政治体制の全面的な対立枠組みを日米首脳は退けている。言い換えれば、是々非々で厳しい非難もするが選択的な協力もするということであり、我が国政府にとっても好ましい枠組みであろう。まず、中国に対しては、ルールに基づく国際秩序に合致しない行動、東シナ海における一方的な現状変更、南シナ海における不法な海洋権益に関する主張及び活動、航行の自由と上空飛行の自由を求めている。ニクソン−佐藤会談(1969年)の共同声明で1、大統領が「米国の中華民国(台湾)に対する条約上の義務」に言及し、首相が「台湾地域における平和と安全の維持」が日本の安全に極めて重要であると答えてから52年ぶりに言及された台湾についても、台湾海峡の平和と安定のために両岸関係の平和的解決を促すとされ、また香港及び新疆ウィグル自治区の人権状況への深刻な懸念が表明されてはいるが、決して中国との対立を煽っているわけではない。北朝鮮に非核化や拉致問題の解決を促す記述も同じスタンスである。
米国が台湾を防衛する意思を明確に示すことについて、米国戦略コミュニティーには賛否両論があり、戦略的明確性が抑止力を高めるという意見がある一方で、曖昧さが数十年にわたって台湾海峡の安定を維持してきたという意見もある2。他方で、我が国政府は、緊密な経済関係と人的交流がありながら公式の外交関係を持たない台湾には繊細なバランス感覚をもって接してきたことから、いかなる形にせよ台湾の固有名詞を2度にわたって公式文書のなかに登場させたことは誠に大きな決断だったに違いない。
一方、中国政府にとって台湾と新疆ウィグルは核心的な利益である。今回の共同声明に対して、中国外務省の汪文斌副報道局長が4月19日の定例記者会見で「台湾は中国の不可分の領土だ。米日は直ちに内政干渉をやめよ」と、台湾海峡の平和と安定の重要性に言及した共同声明を激しく批判し3、また、習近平主席は「ボアオ・アジアフォーラム」年次総会のビデオ演説で、対中強硬姿勢を鮮明にする米国を念頭に「あらゆる形態の『新冷戦』とイデオロギーの対立に反対する」と訴えたが4、駐中国日本大使の呼び出しや抗議は行われていない。習近平主席が4月22~23日に米国主催の気候変動サミットに出席するために、米国との表だった対立を避けているとの見方もある5。しかし、今までに中国は核心的利益ばかりでなく中国政府や中国企業が関連する様々な事件に対して、中国政府公船の尖閣諸島の領海への侵入など直接行動のほか、希少金属の輸出制限、税関手続きの不当な厳格化など、手段を変えたハラスメントを繰り返し行ってきた歴史があることを考えれば、今後も中国政府が何ら対抗策を講じないとするのは早計であろう。我が国は不測の事態が生起することを覚悟すべきであるし、サプライチェーンの多角化や製造基盤の国内回帰など、有事における中国経済とのデカップリングを視野に入れた経済対策も加速化すべきであろう。
共同声明本文の第2のパートである「新たな時代における同盟」は、中長期的に日米同盟が目指す経済成長とCOVID-19や気候変動などグローバル・イシューに共同して戦うためのビジョンと言える。具体的には開かれた民主的な原則(open and democratic principles)に導かれ、透明性のある貿易規則と規制、高い労働基準と環境基準に支えられ、低炭素の未来に沿った経済成長を生み出すために、①競争力とイノベーション、②COVID-19の対応、世界的な健康と健康安全保障、 ③気候変動、クリーンエネルギー、グリーン成長と回復に焦点を当てるとしている。
競争力とイノベーションについて、情報通信技術、サイバーセキュリティ、バイオテクノロジーなど例示されている項目は、中国政府が主導し急速に日米との差を詰めて来ている分野であり、経済安全保障という経済の戦いに敗れれば中国が総取りする可能性を否定できない。また、かかる技術は全てが軍民両用(dual-use)の技術であって、最新技術を軍事部門に採用する民軍融合活動(civil-military fusion effort)を積極的に進めている中国に比べ、日米両国の防衛計画立案者と政治家は迅速性と想像力を欠いている分野でもある6。日米首脳が合意した「日米競争力・強靱性パートナーシップ」は、日米の協力したイノベーションを促し、日米両国ばかりでなくインド太平洋地域にも大きな成果をもたらすことが期待できる。
戦勝国である米国と、敗戦国である日本が戦後の「占領期」を経て締結した日米安全保障条約は、その後の冷戦期、ポスト冷戦期を通じ、左右両派からの多くの批判にさらされながらも、「我が国家国民が二度と戦禍に巻き込まれない」という究極の目的を全うしてきた。条約の前文で日米両国が希望し、考慮し、確認した項目は、両国の平和と友好の関係の強化、民主主義の諸原則、基本的人権、法の支配、緊密な経済的協力、福祉など幅広い分野に及び、そのために条約を締結することを決意すると述べている。
第5条は、米国の対日防衛義務を定める安保条約の中核的な規定であり、会談では尖閣諸島がその対象であることが改めて確認された。
第6条は、侵略に対する抑止力としての日米安保条約の機能が有効に保持されていくためには、我が国が平素より米軍の駐留を認め、米軍が使用する施設・区域を必要に応じて提供できる体制を確保しておく必要がある事を規定したものであり、北朝鮮や台湾海峡の課題に対応するであろう。
また、第2条では安保条約を締結するに当たり、両国が当然のことながら相互信頼関係の基礎の上に立ち、政治、経済、社会の各分野において同じ自由主義の立場から緊密に連絡していくことを確認している。すなわち、今回の首脳会談で合意した事項は、外交、防衛、経済、厚生、環境など、日米安全保障条約全体を再確認し、新たな戦略環境に適応させていくための方針とビジョンである。
自らの防衛力の強化や防衛協力など具体的な方針が示されている事項は、目に見える成果を上げることが必要となろう。また、気候変動への対処など、示されたビジョンから青写真を作り、中長期的なプログラムへと具現化の作業が必要な事項については、枠組みの検討から始める必要もあろう。習近平が極度に警戒する「新冷戦」という用語がポスト冷戦期に続く現在の国際環境を正しく表現しているとは思わないが、こうした新たな戦略環境に対応していくために、日米両国が「日米安全保障条約全体のアプローチ」で臨んでいく必要があることを明らかにした点において、今回の日米首脳会談は歴史に残るかも知れない。
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1 「佐藤栄作総理大臣とリチャード・M・ニクソン大統領との間の共同声明」『データベース「世界と日本」』、1969年11月21日、https://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/docs/19691121.D1J.html
2 Bonnie S. Glaser; Michael J. Mazarr; Michael J. Glennon; Richard Haass and David Sacks, “Dire Straits”, Foreign Affairs, September 24, 2020, https://www.foreignaffairs.com/articles/united-states/2020-09-24/dire-straits
3 羽田野主「中国、日本批判を抑制 対話継続の意思示す」『日経新聞』2021年4月20日。
4 岡崎英雄「中国・習主席「新冷戦に反対」 米国を念頭にビデオ演説」『毎日新聞』2021年4月20日、https://news.yahoo.co.jp/articles/c1e071f51486b9a9fb1e387f1e61d8ee8d886b67
5 羽田野主「中国、日本批判を抑制 対話継続の意思示す」『日経新聞』2021年4月20日。
6 Anja Manuel, Kathleen Hicks, “Can China’s Military Win the Tech War?”, Foreign Affairs, July 29, 2020, https://www.foreignaffairs.com/articles/united-states/2020-07-29/can-chinas-military-win-tech-war