中国の「一帯一路」に貢献するインドネシア初の高速鉄道が開業
―受注合戦でなぜ日本は敗れたのか

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政策提言委員・金沢工業大学客員教授 藤谷昌敏

 インドネシアで中国からの支援を受けて完成した東南アジア初となる高速鉄道が開業した。10月2日、首都ジャカルタにおいて、ジョコ大統領が出席して高速鉄道の開業式が開かれた。高速鉄道は首都ジャカルタと「ジャワのパリ」と称される観光地西ジャワ州都バンドゥン間の143.2キロを結んでいる。最高時速は350キロで、従来の路線が約3時間かかっていたところを40分程度に短縮された。この鉄道は、中国が主導する経済圏構想「一帯一路」の一環として中国が支援してきたものだ。
 
インドネシア高速鉄道はどのように作られたのか
 インドネシア高速鉄道計画は、2014年1月、JICAを中心とした日本・インドネシア合同チームがジャカルタ~バンドゥン間の新幹線計画と採算性についてリサーチをするために2億6千万円をかけてボーリング調査を行ったのが始まりである。この計画を推進したのは第6代大統領スシロ・バンバン・ユドヨノ(Susilo Bambang Yudhoyono)で、後継の大統領として庶民派として知られたジョコ・ウィドドが計画を引き継いだ。当初、ユドヨノ大統領に協力して日本の新幹線計画を支持したのは、日本の中央大学出身の知日派ラフマット・ゴーベル貿易相、西ジャワ州知事アフマッド・ヘルヤワン、バンドゥン市長リドワン・カミルだった。
 ジョコ・ウィドド政権になった直後の8月、ラフマット・ゴーベル貿易相は「小規模店舗での酒類販売禁止」「豪州からの食肉牛の輸入制限枠の厳格化」によって、大きな経済的打撃をインドネシア経済に与えたとの理由で辞任に追い込まれてしまった。これにより日本の新幹線計画に暗雲が立ち込めることになる。
 ジョコ大統領は2015年1月14日、インドネシアと日本による大型プロジェクトの凍結、新幹線計画中止を発表した。それでも知日派のインドネシア経営者協会前会長ソフヤン・ワナンディは「日本の新幹線は半世紀の間、事故がなく、円借款の金利が安く設定されている」と日本案を最後まで擁護していた。
 2015年3月、ジョコ大統領は日本に続いて中国を訪問し、習近平国家主席と高速鉄道建設の覚書を交わし、9月には、中国に高速鉄道を受注させることを正式に公表した。同時に親中派とされるリニ・スマルノ国営企業相が訪中し、中国側はインドネシア国営銀行に数千億円の融資を約束し、インドネシア政府の財政負担や債務保証を伴わない形での受注を認めた。その破格の条件が中国側の受注の決定的な要因となった。
 その後、事業を主導する合弁企業・高速鉄道インドネシア・中国(KCIC)社のハンゴロ・ブディ・ウィリャワン社長は、地元メディアに「高速鉄道事業を規定通り進めるために政府保証を求める」と中国案と矛盾する内容を語った。当初、ジョコ大統領は、大統領令(2015年第107号)で「高速鉄道には、政府の債務保証を付けない」と明言し、中国案採用の意義を強調していたが、翌年、署名された大統領令(2016年第3号)には、「財務省による政府保証を付与する」と矛盾した内容が明記されていた。議会などから大統領令の矛盾を突かれると、リニ国営企業相は、「高速鉄道計画に政府保証を付与しないのは明らかだ。KCICが求めている政府保証は、債務の保証ではなく、将来の事業計画への正確さだ」と反論し、「例えば40年の融資契約が、新しい政権に変わったとき、50年に変更するといった議論が浮上した場合、KCICが政府と再度交渉する権利の保有を主張しているのだ。KCICの求める保証は債務の保証ではなく、インドネシア政府に財政負担を強いるものではない」と強弁した。
 
日本の提案書を模倣した中国
 中国側がかなり強引に受注した証拠としては、中国受注の正式発表前の2015年8月、中国側が提出した提案書に日本側の提案書を元に作成された痕跡があったことだ。日本は数年かけて地質調査や需要の予測をまとめて、途中駅の入ったルート図を含む提案書をインドネシア政府に提出していた。中国側の提案書にもまったく同じデータが入っていたが、中国側はボーリング調査を行った事実はなく、日本の提案書が中国側に流出していたことに間違いはなかった。
 しかも、日本側の当初計画では、2016年着工、19年試験走行、21年初頭開業としていたが、中国側は2015年9月に着工、18年完工を計画、19年のインドネシア大統領選に合わせるとの方針を示しており、中国側がジョコ大統領の再選を睨んで極めて政治的に動いていたことがうかがわれた。ジョコ大統領は、中規模都市のスラム街で育っており、「すべての国民に富を行き渡せる」と公約して当選していたことから、公共事業に少しでもお金をかけず国民に負担をかけない姿勢を打ち出すことが再選の条件だった。
 中国案は、元々、期日の設定に無理があり、土地の収用問題などで大幅に遅れ、結局、高速鉄道起工式に漕ぎつけたのは2016年1月21日のことだった。当日は、ジョコ・ウィドド大統領は出席したものの、事業を主導するリニ・スマルノ国営企業相との確執から、本来、高速鉄道計画の主務であるはずのイグナシウス・ジョナン運輸相は欠席し、「運輸省は法的手続きには協力するが計画に絡む責任は一切とらない」とメディアに向けて発言した。
 一方、中国側は、中国人民網が「日本は事前調査に1,000万ドル(12億3,000万円)もかけたが実を結ばなかった」と揶揄した上で、「インドネシアが日本を見捨てた理由」として、
 ①中国の高速道技術は確実なものでその名声は海外でも高い。
 ②政府各部門が全力で取り組み指導層が自ら宣伝役を務めた。
 ③中国は十分な外貨準備を保有しており、有利な融資契約を提供することができた。
 ――などを挙げた。
 
安全性と経済性に疑問が残るインドネシア高速鉄道
 中国がかなり強引に高速鉄道の利権を奪った背景には、習近平主席が進める独自の経済圏「一帯一路」構想の一環として、なんとしてもインドネシア高速鉄道に関与したいとの強い意向があったとされている。なんとか開業に漕ぎつけたものの、試験運転中に脱線事故を起こしたり、中国から持ってきた車両が中古だったのではないかなどの疑惑があり、安全性に重大な疑念が生じている。また、ジャカルタ、バンドゥン間の143.2キロでは、あまりに短くて高速鉄道では採算がとれることはなく、今後は毎年赤字が積み重なり、巨額の債務がインドネシア政府を苦しめることになるだろうと言われている。2024年10月に退陣する予定のジョコ大統領は、本当にインドネシアのためになる鉄道を残したのだろうか。