選挙制度を正せ

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会長・政治評論家 屋山太郎

 政治資金の使い放題である。それにしてもこんなバカバカしい制度が世界のどこにあるのか。選挙制度をきっちり正確、正直なものにしなければならない。
 私が政治記者になった頃、福田赳夫氏がよく語っていた。「政治は浄財でやるべきものだ」と。たまたま角福戦争が激しくて、田中角栄氏は金の使い放題だったから「浄財」という感覚は分からなかったろう。角福戦争にあたって、関係者が福田氏に七億円送ったところ、福田氏は「領収書がいらないお金なら受け取れない」と断った。当時、父親から聞いた「政治は浄財でやるもの」が日本の普遍的な常識だった。制度が中選挙区を採ったために、同一選挙区内で同一政党が戦うので金の力がものを言うようになった。長崎県では定員五で五人の自民党候補が選出されるようになった。
 そこでリクルート事件をきっかけに小選挙区に切り替えたが、政治家が選挙運動をやり易くするために政治資金を認めた。これには実はさまざまな制限によって例外を認めたために、〝実質〞的に自由化された。個人が二千万円寄付するのを認める場合がある。
 河井克行元法相の事件は、地方議員に各数十万円の現金を提供して大スキャンダルになったものだ。ここでも「陣中見舞い」か「選挙買収」かが争点になって、結局、河井氏は有罪になった。公選法の条文上「ただし、他の政治団体に金を配る」との形を取れば河井氏の言う通り「合法」になっていたのだ。
 こういう奇天烈な条文を使うとインチキ政治資金はいくらでも作れる。素人には禁止のふりをして、実は使い放題というのが実態の政治資金だ。全員がインチキを身につけて玄人だけが困らないというものは、まともな規則ではないし、世の中を悪くする。
 なんで角さんは大金を集められたのか。私は当時幹事長番をやっていて、角栄氏が日本地図に高速道路や新幹線設置の線を描くのを見たことがある。彼はあらかじめ土地を買収して、その上に線を引いたのだ。要するに角さんの金は全部、国費を集めたものだ。だから自民党籍を失いながらも自民党内に百五十人もの子分を保ったのである。
 角さんの政治観は、政治家は大金持ちであり、気前がよくなくてはならないという発想だ。福田さんの時代も昔はそうだったのだろうか。時代が様変わりしたが、角さんは反省することはなかった。その人物が強力な力を持っているから、角福時代はロクな政治が行われなかった。
 日本の政治が致命的に悪くなったのは社共と自公共闘が定着したことである。冷戦後、欧州各国の政権は皆代わったが、代わり方は多数党や思想の似通った政党が集団を作って政権を作るというものである。集団の中には全く異質なものは参加させない。
 ところが自民党は公明党と連立を組んで選挙を行う。自民党は「憲法改正」を標榜するが、政権をとれば相方の公明党は「加憲」と称して実質、改憲反対である。この結果、自民党は永久に憲法改正はできない。
 社共共闘も同じことで、社会党が支持している団体は完全に共産党かぶれである。だから共産党が嫌いな人たちは投票しない。選挙が正当に行われていると言いながら、正当な政党選挙ではない。
 国民は憲法改正を望んでいる。選挙制度を新たにした上で自公連立という選挙前の連立を一切禁じて、まともな選挙をやってみることだ。国民の意識がはっきりして、政治の明らかな方向が見えて来るだろう。世界中で民主主義制度を採っている国の全ての選挙を見てもらいたい。最初から〝連立〞を組む政党はない。連立によって政治の軸を動かしてしまうことが重大事なのだ。まともな選挙制度に変え、やり直してもらいたい。
 
(「正論」令和6年2月号より転載)