ベルギーの首都ブリュッセルの中央広場グランプラスはユネスコの世界遺産に指定されている。近世初期風の建築群に囲まれた広大な広場には石畳が敷き詰められ、訪れる者を瞬時にして17~18世紀のヨーロッパにタイムスリップさせてくれる。観光ガイドブックには「世界一美しい広場」と書いてある。
去る8月、グランプラスに「花鳥風月」をモチーフにした巨大な花の絨毯が出現した。2年に1度、夏の4日間だけ、この広場で「フラワーカーペット」と呼ばれる一大文化イベントが催されるが、今年は、日本とベルギーの外交関係樹立150周年を祝って、和のデザインをモチーフとする花の絨毯が企画された。75m×25mのサイズに色様々な35万本のベゴニアの花が敷き詰められた光景は壮観であった。現地はもとより日本でもテレビ放映され、評判は上々だったようである。基本デザインは乃村工藝社(東京都港区)の若きデザイナー・鈴木不二絵女史が「花鳥風月」のテーマで制作、イベント当日の会場では艶やか振袖に身をつつんだ同人の姿が見られた。
私は、2年半前、大使としてベルギーに在勤していた折に、2016年のフラワーカーペットには和のデザインを採用して欲しいと願い、ブリュッセル市当局と交渉した。紆余曲折を経て日本案とすることが決まったものの、その直後に私自身が帰国することになり、カーペットのデザインをどうするかという最大の懸案が残された。指定された色のベゴニアの栽培はイベントの1年前に始まる。そうした中、全くの偶然から乃村工藝社の渡辺社長(現会長)との出会いがあり、その後はトントン拍子に話が進み、2015年夏に「花鳥風月」の採用に至ったのである。この8月のイベント期間中は私もブリュッセルを訪れた。感慨ひとしおであった。
1866年、江戸時代も終わろうとする頃、ベルギー王国政府側トキント・デ・ローデンベルグ特使、幕府側・松平伊予守の二人の間で国交樹立の難交渉が行われた。時既に徳川幕府は米国他の欧米列強とは条約を締結済みで、ベルギーは「後発組」であった。当時のベルギーはレオポルド2世の王政下、独立して未だ30数年、富国強兵の道をまっしぐらに進み、アフリカ・コンゴの植民地化にも着手していた。トキント・デ・ローデンベルグは商務省の役人で、メキシコや中米諸国との協定締結も担った通商交渉のベテランであった。彼は、日本との条約を結んだあと、初代の駐日公使も務めている。私は、ベルギー在勤当時に、この人物の足跡を辿るべく、その子孫にあたる人物の特定に奔走したが、本人が独身を通したこともあって、その直系の子孫に出会うことはなかった。ただ、その主筋に当たるローデンベルグ本家の現当主との面会は叶った。ローデンベルグ家は16世紀頃のアントワープに源を発し、伯爵の家柄で、現在はブリュッセルの西60kmほどにある小さな町オイドンクに居を構えておられる。スペイン・ルネッサンス風の巨大なお城で、観光客が見学に訪れるほどの歴史的建造物である。私は、同じ外交官として、王室と深い縁を持つ重要な人物が日本との国交樹立交渉に当たってくれたことを知って嬉しかった。
そのベルギー王室と我が皇室とは長きに亘って強い結びつきを保っている。現在のフィリップ国王はベルギー王国7代目の国王である。大の親日家で皇太子になる前の1985年以来既に10回に亘って訪日しており、この10月には国賓として11回目の訪日を果たされた。徳仁皇太子殿下と同年齢の56歳。前アルベール2世国王も天皇陛下と同年齢という奇縁で、前国王が3年前に高齢を理由に退位され現フィリップ国王に譲位されたことも天皇陛下の「生前退位」のご意向と無縁ではないような気がしてならない。
10月11日、フィリップ国王を主賓とする宮中晩餐会の冒頭で天皇陛下は19歳の若かりし日にベルギーを訪れ、ベルギー王室の方々に温かく迎えられ、ブリュッセルの郊外ラーケンにある主宮殿に御宿泊になられたことなどを想起された。日本とベルギーの関係はわずか150年前に遡るだけだが、両国皇室・王室が浅からぬ縁(えにし)で結ばれていることは誠に幸いである。
2016年8月のフラワーカーペット(花鳥風月)