澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -395-
米国は香港を守り切れるのか?

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政策提言委員・アジア太平洋交流学会会長 澁谷 司

 今年(2019年)9月4日、林鄭月娥(キャリー・ラム)香港行政長官が、懸案の「逃亡犯条例」改正案をついに撤回すると発表した。
 遅きに失した観がある。「光復香港、時代革命」(Liberate Hong Kong, the revolution of our times)を掲げるデモ側の要求がエスカレートし、すでに「逃亡犯条例」改正案撤回だけでは収まりがつかなくなっている。
 デモ隊の「5大要求」は以下の通りである。
 (1)「逃亡犯条例」改正案の完全撤回。
 (2)デモを「暴動」と認定した政府見解の撤回。
 (3)逮捕されたデモ参加者を刑事訴追しない事。
 (4)独立した委員会による警察の鎮圧活動の検証。
 (5)行政長官の辞任と民主的選挙の実現。
 香港のデモ隊は、香港政府に対する「5大要求」のうち、最初の1つが通ったからと言って、デモを中止する事はないだろう。したがって、今後もデモは継続される公算が大きい。事実、中高生までもが、「人間の鎖」等でデモに参加している。
 実は、デモ側の要求する残り4つも、かなりハードルが高い。特に、5番目の後半部、民主的選挙の実現に関しては、いくら香港内とはいえ、北京政府が許すはずはないだろう。
 習近平政権は、民主主義を“敵視”しているからである。今後も、引き続き、香港政府(および中国政府)も、デモの対処に苦慮するだろう。最終的に、香港政府は「緊急状況規則条例」(いわゆる戒厳令)を敷いて、事態を収拾しようとするかもしれない。
 さて、9月8日、デモ隊は、香港の米総領事館前でデモを行っている。そして、彼らは星条旗を掲げ、米国国歌を歌い、トランプ大統領に「香港を解放して欲しい」と要求したのである。
 目下、米連邦議会では「香港人権・民主法案」が審議中である。これは、1992年、米連邦議会が「米国-香港政策法」(1997年7月1日発効)を再確認し、更に強化する法案である。
 仮に、この法案が連邦議会を通過し、トランプ大統領がそれに署名すれば同法は発効する。
 現在、米国は、中国共産党が、香港で「第2次天安門事件」を起こさないよう、圧力をかけている。「香港人権・民主法案」が成立・発効すれば、北京は、ますます香港のデモ隊に対する武力弾圧が困難になるかもしれない。
 もし、習近平政権が、香港のデモ隊を数人でも虐殺したら、トランプ政権は対中経済制裁のレベルを上げるだろう。そうでなくても、習近平政権は「米中貿易戦争」で経済的に大きなダメージを受けている。
 そのため、中国共産党内では、権力闘争が激しさを増し、「習近平派」と「反習近平派」との間で、死闘が繰り返されているという。習主席が10月の「4中全会」をすんなり開催できないのも、党内で経済政策や香港政策を巡る闘いが熾烈だからではないか。
 更に、ホワイトハウスは、中国共産党幹部の米国資産を凍結し、武力弾圧した共産党幹部らの入国を拒否する構えである。万が一、中国共産党政権が崩壊した際、共産党幹部は、米国へ逃走できなくなるだろう。
 他方、ワシントンは、北京が「第2次天安門事件」を起こしたら、米国での中国人留学生を皆、本国へ帰還させると表明している。そうなると、習近平政権は「中国製造2025」で、米国を凌駕する事はほとんど不可能となるだろう。
 しばしば、中国は一部の最先端技術で米国を凌ぐと言われている。しかし、同国は、最先端分野では、まだまだ米国に学ばなければならない。そのために、北京政府は国内の優秀な学生を米国へ留学させているのである。
 以上の理由から、習近平政権が、香港で「第2次天安門事件」を起こす公算は大きくないだろう。それでもなお、力を信奉する中国共産党が、香港のデモを武力制圧する可能性を捨て切れない。
 話は変わるが、近年、香港では、マンション価格が高くてなかなか手を出せない。ここ14年間で、香港の不動産価格が420%も上昇したという。
 そのため、40平方メートルのマンションが、約8130万円もする。普通のサラリーマンではとても買えない代物となっている。
 香港では、多国籍企業に勤めている人(大卒以上の学歴)の平均月収は、約41万1300円である。だが、24歳から35歳までの、大卒以上の学歴を持つ人でも、平均月収は約29万1300円となっている。
 今年4月、アメリカのCBRE(世界的な事業用不動産サービス・投資企業)が発表したレポートによると、香港は世界1不動産価格が高いという。2番目がシンガポールだが、香港は同国と比べて4割も高い。3番目が上海である。4番目がカナダ・バンクーバー、5番目が深圳という順となる。
 今、香港の若者らは、純粋に自らの郷土を中国から守ろうとデモに立ち上がっているのだろう。だが、ひょっとすると、その背景には経済的不満があるのかもしれない。