澁谷 司の「チャイナ・ウォッチ」 -115-
蔡英文新政権下での迅速な政策転換

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政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所教授 澁谷 司

 周知のように、今年4月25日、我が国の東京都小笠原村沖ノ鳥島周辺(約150カイリ)で、台湾漁船が日本のEEZ(排他的経済水域)に入った。そのため、海上保安庁の巡視船が台湾漁船を拿捕している。
 翌5月1日、それに反発した馬英九政権は、海岸巡防署(日本の海上保安庁に相当)の巡視船など計2隻を沖ノ鳥島周辺海域へ派遣した。
 5日後の6日、馬英九総統(当時)、沖ノ鳥島は「島ではなく岩礁だ。EEZは発生しない」との立場を表明した。さらに、馬総統は、沖ノ鳥岩礁問題について、国際仲裁裁判所への提訴を検討すると言明した。そして、日本側に応訴を求めている。
 同日、安倍晋三首相と実弟、岸信夫衆議院議員(自民党。衆議院外務委員長)は、馬英九総統と会談した。岸議員は、沖ノ鳥島の排他的経済水域(EEZ)へ台湾が巡視船を派遣したことに抗議している。
 台湾の沖ノ鳥島への巡視船派遣に関してだが、まもなく政権交代する馬英九総統が、中国共産党の意向を受け、日本に対する“嫌がらせ”をしたのだろうか。それとも、「親日派」の蔡英文政権へ“宿題”を残したのだろうか。いずれにせよ、日台関係を悪化させる施策だったことは確かである。
 ところが、5月23日、就任したばかりの蔡英文新総統は馬英九前政権の方針をあっさり撤回する考えを表明した。早速、民進党政権は日本との関係改善へ動いた。これは重大な決定である。
 李登輝元総統と蔡新総統とは、昔から父娘のような関係であった。同時に、当時に、李元総統と安倍晋三首相は強い絆で結ばれている。したがって、安倍首相と蔡新総統の間には、すでに強力な「安倍―蔡ライン」ができ上がっていたと見るべきだろう。今後、日台関係は更に安定化すると考えられる。
 実は、蔡英文新政府は、日本とのFTA締結を望んでいる。同様に、台湾は今後TPP(Trans-Pacific Partnership)加盟を模索している。そのためには、日米の後押しが必要だろう。
 ちなみに、5月18日、米連邦下院で2017年度「国防授権方案」が通過した。その中に台湾軍を環太平洋軍事演習(リムパック)へ招待する提案が含まれている。米国と台湾の軍事交流を促進し、台湾軍に対する修正案も明記された。
 少なくても、米国防総省は、米日台(できれば、米国は武器禁輸を解禁したベトナムをそこに含めたいだろう)で、中国軍の“膨張”に対応する構えである。
 もう一つ、蔡英文新政権は、重大な決定を行っている。5月21日、新任の潘文忠・教育部長(教育相)が近日中に「課程綱要」(課綱、日本の学習指導要領に相当)を廃止する行政命令を出すと公表した。つまり、改訂されたばかりの「新課程」教科書を「旧課程」教科書へ戻すよう決定する。
 2008年、馬英九前総統は就任直後、『認識台湾』という「台湾史観」の教科書の見直しを行った。王暁波(外省人)ら中心に、「中国史観」による「新課程」教科書が編集されている。
 その際、①日本の「台湾占領時代」を「植民地政府時代」へと変更する(日本の台湾統治時代には光と影があったが、光の部分を抹消する)。
 ②戦後、日本が台湾を放棄した際、GHQによって「中国(中華民国)は台湾の統治権を与えられた」という部分を「台湾は中国(同)へ返還された」という曖昧な表現に直す。
 ③国民党による台湾統治の初期に起きた「2・28事件」を“大事件”ではないとして扱う。
 ④国民党の本省人に対する「白色テロ」(有望な台湾青年2万から3万人を闇から闇へ葬る)を小さく記述する。
 ⑤以前の教科書には載っていた民主化の象徴的英雄、鄭南榕(外省人。1989年4月、焼身自殺を遂げる)に関する記述をなくす、等の改訂を行った。
 昨2015年7月、その「新課程」教科書導入(同8月から)をめぐって、高校生や大学生が反発し、教育部へなだれ込んだ。
 当初、(民進党系の)柯文哲・台北市長が、警察による学生らと報道関係者3人の計33人の逮捕を許した。これに対し、台湾内部で批判の声が上がったのである。
 一昨年の14年3月から4月にかけて、大学生らが立法院を占拠した(「ひまわり学生運動」)。けれども、当時、郝龍斌市長は彼らの逮捕を見送っている。結局、柯市長は学生・報道関係者の不逮捕へ舵を切った。
 その後まもなく、7月30日、逮捕された学生の中の1人、林冠華(高校生)は20歳の誕生日に自宅の部屋で自殺(炭火による一酸化炭素中毒死)している。