現地調査及び意見交換・概要報告(福岡)

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お知らせ JFSS事務局

日 時:平成30年2月23日
場 所:福岡市
報告者:林田和彦 氏(元第3次モザンビーク派遣輸送調整中隊長)
聴取者:佐藤庫八、山本慎一



<調査報告の要点>

〇 はじめに
  • ・第3次隊派遣期の特性は3点あった。①内戦後初の総選挙を控えていたこと②国連にとっては選挙を成功させてPKOを終結させること③自衛隊にとってもPKOを撤収させること――であった。
  • ・編成は、中隊48名と司令部要員5名であった。また、現地支援チームが5名いた。中隊は3個小隊で構成され2個はモザンビーク南部(首都マプト近傍のマトラキャンプ)、1個小隊は中央部のベイラ(第2の都市、約800Km離隔)に12名を分派していた。
  • ・他国軍との関係としては、マトラにポルトガル通信大隊300名が、ベイラにイタリア野戦病院部隊が自衛隊の部隊と宿営していた。

〇 部隊到着後の状況
  • ・第2次部隊との部隊交代時の対応としては、宿営地の警備にまず留意したが、いわゆる共同警備の問題があった。
  • 当時のPKO法は指揮官命令による武器使用ができない状態であった。また、武器等防護の権限もなかった。このため、ポルトガル軍との調整は難しいものになった。その結果、全体はポルトガル軍が警備し、日本隊が入っているエリアは日本自身で警備を担当することにした(ポルトガル軍からの支援は受けるが、日本側からの支援はしないという歪な関係)。
  • ・装備は小銃5丁(中隊本部)と拳銃のみであった。ポルトガル軍は機関銃を装備していた。ベイラの小隊が同宿していたイタリア軍は野戦病院部隊とはいえ、警備隊があり、装甲車を含めた重装備を持っていた。
  • ・宿営地の警備においても武器使用に関しては指揮官として命令できないため、「1発目は中隊長(中隊長不在時は副長等次級者)が発砲するので、それを基準にして判断せよ」と指示した。
  • ・隊員が拳銃携行で市街地に出て行くとき(拳銃携行を命じたのは総選挙の前後2週間程度のみ)は、現在のような部隊行動基準(ROE)等はなかったが、弾薬装填と引き金を引くタイミングを示さざるを得なかった。単独行動を禁止した上で「その場にいる上級者が危険な雰囲気を察知した場合は他の者も弾薬を装填してよい」「身の危険を感じた場合は上級者が1発目を発砲するので、他の者はそれを基準に判断せよ」等といった具体的な手順や、その後の離脱要領や報告要領等を指示した。

〇 総選挙間近の状況
  • ・PKO組織全体が緊急事態に備えて計画の見直しを実施することになった。PKOの文民を最初に脱出させる計画において、各国軍で護衛するため地域を割り振られた。当初、日本隊も警備地域が割り当てられたが、日本隊はできないと説明した。PKO司令官は初めて聞いた様子で、何しに来たんだという反応であった。
  • 地位協定で日本隊の特殊性は反映されているが、NYのレベルで相互理解が得られていても現場の司令官レベルには伝えられていなかった。
  • PKO司令官から地域司令部に日本の事情が伝達されて調整がついた。
  • 憲法上の問題で困難という説明は繰り返したが、他国軍からは白い目で見られることも多かった。

〇 総選挙当時の状況
  • ・総選挙の当時、隊員に拳銃携行を初めて命じた(11月頃)。但し、弾薬装填はグループ長が命じるよう指示した。そして、自前のROEカードを携行させた。
  • ・警戒レベルを上げた段階で、臨時代理大使から緊急時における現地邦人のキャンプへの収容を依頼された。自発的に彼ら(現地邦人)がキャンプ地までたどり着いたことにしてポルトガル軍が宿営地に入れ、たまたまその中に逃げ込んできたという扱いにし、その後は日本隊が収容するという計画であった。
  • 外務省(臨時代理大使)は、いざという時は自衛隊が守ってくれるという認識でいた。
  • ・次に、選挙監視で入ってきた日本人要員の護衛について依頼があった。彼らは自衛隊が護衛してくれるものという認識だったので、できないことを説明して理解してもらった。カンボジアと同様に情報共有がなされていないという印象を受けた。
  • ・在外邦人等の保護について、当時は武器等防護の規定も使えない状態であった。なだれ込まれたから仕方がないという対応で押し通すしかなかった。私は、追い返して褒められるよりは、受け入れて処罰される方が良いという気持ちでいた。

〇 2派閥が戦っている緊張時期の状況
  • ・旧政府軍側は、処遇に不満を持っていた。彼らが戦車に燃料を入れたいために、戦車砲でガソリンスタンドを恫喝する事件が起きた。夜間だったので、戦車の軌動輪の音は戦車がキャンプに向かって来るように感じた。ポルトガルの大隊長と相談して、戦車がこちらに向かってくるのであれば、一緒に離脱することにしていた。その後、情報収集の隊員から、キャタピラ音がキャンプから離れて行くという報告があった。大隊長と静観しようということになった。
  • こういう事態になっても、法律に縛られていてポルトガル軍と共同警備はできないし、一緒に逃げる際にも相互支援ができないというのが実態であった。

〇 質疑応答
  • ・司令部の中に自衛官を入れ込むことの効果は大きい。日本人の特性を活かし、業務の改善をドンドン進めていく。最初は嫌われるが、改善された業務内容が評価され、最後は支持してくれる。
  • ・警備は単調で誰でもできる仕事である。警備部隊に自衛隊が就くべきではない。これまで施設や輸送調整に焦点を絞ってやってきた方向性は間違ってはいない。無理をして歩兵大隊の仕事をもらうことは、日本の利益になるのかという疑問がある。防衛省や外務省が今見ている方向は間違ってはいない。最終的にはキャパビルに繋がる。
  • ・キャパビルは子どもの教育(学校建設)にいかに携わるか、欧州諸国は重視する傾向にある。ポルトガルやイタリアは、教育に重きを置いている。つまり、教育支援を行うことで、何十年後かには国益に繋がるという認識がある。学校自体はボロ小屋だが、軍人や文民が先生になって教えている。
  • ・自衛隊のキャンプの中にこういう施設を作って、自衛官や文民が教える機会を設けるのも良いのではないか。
  • ・司令部要員だけでなく、現場の部隊派遣も必要である。国益としてPKOをどう捉えるかである。
  • ・歩兵だけでなく輸送調整や施設部隊の業務でも国連側では評価される。そこでの評価が司令部要員のポスト獲得に繋がる。
  • ・オールジャパンでの取り組みは思想が異なっていても、現地に行けば手を取り合ってやらざるを得ない状況がある。しかし現地での情報共有や、緊急時のプランニングがなされているかどうかは疑問が残る。
  • ・邦人在住地域にPKO展開がなされるのであれば、情報共有の仕組み(組織)が必要である。実際は必要に迫られて現地で協議するが、正式な形で組織化すべきである。この点で、外務省は邦人保護の観点から主体となるべきである。