「日米和解」は如何にあるべきか
―戦争挑発者は誰だったか―

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政策提言委員・高知大学名誉教授 福地 惇

Ⅰ「日米和解」は妥当な判断か?―歴史を直視すると
 平成25(2013)年の春以降、本年(2017年)2月に至るまでの2年間で、日本国が紛れもなくアメリカ合衆国の第一の属国であることが鮮明に炙り出された。炙り出してくれたのは総て安倍晋三首相の仕事によってであった。首相は、昨年12月に真珠湾で米軍戦没者を慰霊して、これで日米「和解」が完結したと自画自賛した。この時、筆者の脳裏に浮上したのは、宗主国と属国との対等平等の「和解」は在り得るかという大問題である。今の日本は真っ当な独立主権国家だと思い込まされている多くの国民は一向に気にならない様子だから、大問題だとの問題意識を持つ者は極少数であろう。だから、警鐘を打ち鳴らすべく本論を世に問うのである。
 安倍首相は一昨年4月には米連邦議会上下両院合同会議において、「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない。これらの点についての思いは、歴代首相と全く変わるものではありません」と自己批判ならぬ自己卑下をした上でアメリカ合衆国への感謝と胡麻摺りの演説をした。米議会の構成員たちは喜んで立ち上がり大喝采したのだ。属国の首相が、これからも喜んで御国に真面目に服従しますとニコニコ顔で宣言したのだから、アメリカの議員らが喜んだのも当然だろう。
 次いで昨年8月14日、終戦記念日の前日には、日本は戦前のある段階で国際社会の潮流に反抗する道を誤って選択して悪い戦争を選択したことを反省して平和と民主主義とを愛する現体制を誠意をもって護持すると「欺瞞の世界史」に忠実そのものの主旨の所謂「戦後70 年談話」を公表した。要するに、戦後体制の「揺るぎない護持」を内外に宣言したのである。更に憲法改正の必要性を主張しているが、改正したい憲法は日本の国柄(國體)を打ち砕かれた上、皇室の不安定要因を内包する独立主権を制限された半国家に凍結する性質を持つ現憲法(占領法規の偽憲法)だから、話にならない。それを部分修正して如何なるものでもない。自民党の党是は独立主権国家復興の証しとしての「自主憲法制定」だと筆者は記憶する。
 そして、昨年12月初めには、「日米開戦75周年」の節目だとしてハワイのオアフ島真珠湾を訪問した。