東洋的専制諸国家と日本国 (上篇)―子宮・廊下・群島―

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筑波大学教授 古田博司

 朝鮮半島にある南北二つの小国も、様々な事件を惹起することにより、大国の頭ごなしの決定には決して従わないという自律性を常に示し続けている。国家間の関係というのは元来そのようなものなのであり、例えて言えば、ビリヤード台の大きな球も小さな球も、それぞれのやり方でぶつかり合うのである。小国とはどのようなものか、日本ではその知見が薄いので、いつも対処を誤る。今回は少し長いが、朝鮮の周辺大国の視点から小国というものについて丁寧に解説してみよう。 

子宮型のシナと廊下型のコリア 
 コリアは地形が「行き止まりの廊下」であり、武器を持った人々が往来する「ただの廊下」のパレスチナよりは幾分ましな地形だと言える。逃げようにも逃げられず、一定の人口が行き止まりに溜まることにより、紀元前百年頃に何とか部族国家らしきものが生まれた模様である。東側は山脈で、西側は平坦な廊下で、土地は痩せている。李朝時代でも、穀物が採れたのは三南地方といい、慶尚道、忠清道、全羅道だけだった。 
 隣のシナは北東と北西に細い入口のある袋状或いは壺状の地形だ。北東側は大興安嶺が海の際まで迫っていて、ここを山海関と呼んでいる。即時に大量の軍隊を動かすことが難しいので、満州の遼陽に軍事拠点を置いて、ここに騎馬兵や屯田兵を蓄えておくのが普通だった。中国の王朝の中では、明朝がここを活用し満州の北方民族への備えとしていたが、もともとはモンゴルが侵攻拠点として築いたものだった。 
 つまり、漢民族の王朝にとっては防衛拠点、異民族の王朝にとっては侵攻拠点だったわけで、防衛拠点がシナ中心部の外にあるということがそもそもの地形的な弱点である。つまり内陸部に引き入れて敵を撃つことができず、遼陽を奪われれば半分は侵攻されてしまうということだ。北西側の入り口には北にゴビ砂漠、西に秦嶺山脈が迫っていて、蘭州方面にしか開きがない。異民族はだいたい二手に分かれて、半分はこちら側からシナに侵攻した。