日本人が韓国に伝えるべきこと

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首都大学東京名誉教授 鄭 大均

二つの欲望 
 かつて人類学者のクリフォード・ギアーツ氏が言っていたことだが、第二次世界大戦以後に独立した「新興国」(new state)に生きる人々には、二つの欲望に同時に駆り立てられる状況があって、両者の間に良い緊張関係が維持されるとき、国家は発展の推進力を得るが、二つの欲望はしばしば対立し、国家の発展を妨げる最大の障害になるものでもある。 
 一方が国際政治の舞台で一人前の存在として認められたいとか、影響力ある国になりたいという欲望であるとしたら、他方は有能で活力ある現代国家を建設したいという欲望であり、前者が自己承認を動機とするなら、後者は国民生活を向上させ、より良い政治体制を構築し、社会正義を拡大したいというプラクティカルな欲望である。 
 「統合的革命」(『文化の解釈学』岩波現代選書所収)と題するこの論考で、ギアーツ氏が念頭においていたのは、多民族、多言語のアジア・アフリカ諸国であり、それらの国々において、人々の自己意識がともすれば血や人種や地域、宗教といった原初的感覚(primordial sentiment)と結びつきやすいものになることはよく知られている。そしてこの点で、韓国は、「新興国」の中では例外的に民族的同質性や言語的同質性を特徴とする国であり、また二つの欲望間によい緊張関係が維持されていた国でもあった。 
 その韓国に原初的紐帯の感覚が台頭するようになったのは、1980年代後半の民主化以後のことであろうか。この時期は韓国が「反共ナショナリズム」の国から「民族ナショナリズム」の国へとその国家アイデンティティを変容させた時期であり、それは民主化の副産物というべきものであった。「反共ナショナリズム」が北朝鮮との異質性を重視する態度であるとしたら、「民族ナショナリズム」は寧ろその同質性を重視する。「反共ナショナリズム」が北に対する南の優越性、つまり民主主義や思想・信条の自由や市場経済を重視する態度であるとしたら、「民族ナショナリズム」は「統一」を重視する態度であり、「抗日武装闘争」の実蹟のある北鮮には、韓国よりも民族としての正統性があるという態度である。