平成時代の日本外交とこれからの課題

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顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

はじめに
 平成時代の日本外交は1989年からのソ連邦の崩壊、冷戦終結という驚天動地の出来事とともに始まった。当時、私は外務省の一課長に過ぎなかったが、世界情勢の激変を目の当たりにして大いに当惑したのを昨日のことのように思い出す。東西冷戦構造を前提にした外交が過去のものとなる中、新たな外交戦略はどうあるべきなのかの模索が始まった。
 欧米諸国は「共産主義に対する資本主義・民主主義の勝利」に酔いしれた。米国の一強時代が始まると言われ、欧州では東西ドイツが統一されて欧州連合(EU)の統合が急加速するように見えた。旧ソ連圏の東欧諸国が次々と体制変革する様は感動的ですらあった。米欧主導の世界平和が実現するのか。そうであれば日本の役割は政府開発援助(ODA)などの外交手段で発展途上国や体制移行国の平和・安定と経済発展に貢献すれば良い。冷戦時代の緊張から解き放たれた外交は複線から単線に変化し、単純明快なものになる。
 しかし、その後の世界情勢の変動は多くの人が期待した方向には進まなかった。先ず、冷戦の重しが外れると同時に、中東やアフリカ諸国において内戦や地域紛争が始まった。その一方で冷戦構造を残した東アジアではソ連にとって代わるように中国が大国として台頭し、朝鮮半島では北朝鮮による核開発の懸念が強まった。南アジアではインドとパキスタンの対立が深刻化し、核兵器保有が現実のものとなる。冷戦終結によって世界情勢は安定化するどころか一気に複雑化してしまったのである。イスラム過激主義の台頭も平成時代の国際情勢を特徴付ける。2001年の米国同時多発テロ事件は忘れられない。
 この時期、日本外交は想像以上に難しいものになった。残念なのは1989年6月に誕生した宇野宗佑内閣から海部、宮沢、細川、羽田、村山と続く6代の内閣がいずれも短命で、激動する世界情勢に取り組む日本外交の軸足が定まらなかったことである。1996年になって橋本龍太郎内閣が発足し、日米貿易摩擦の解決に本格的に取り組むことになり、外交方針もいくらか明確になった。その後、21世紀に入ってからは小泉政権が5 年半続き、日米関係の安定を軸に積極外交が展開されたが、2009年から12年まで3年3ヵ月に亘る3代の民主党政権下で再び外交の現場は混乱した。
 今、平成時代が終わろうとする時、安倍晋三総理の長期政権を受けて外交体制は相対的に安定し、国際社会における日本の立ち位置も明確になっている。この30年間の日本外交を振り返るとき、長期安定政権が外交を強化し、国益擁護に寄与していることを実感する。