外からみた平成時代

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産経新聞ワシントン駐在客員特派員 古森義久

 平成時代を振り返ると、私自身はその30年間、ほぼ全ての期間、日本の外にいた。新聞記者としてイギリス、アメリカ、中国、そしてまたアメリカという諸国に駐在し、その国で起きる出来事を日本に向けて伝えるという国際報道に携わってきた。いわば外部世界に身をおきながら、なお日本を眺め、考えるという屈折した立場でもあった。そんな背景から平成時代の世界と日本について述べてみたい。
 
ロンドンでの昭和天皇への攻撃
 私はちょうど昭和時代の最終期の1987年にそれまで20余年も勤めた毎日新聞を辞して、産経新聞に移り、国際報道を続けることになった。その最初の任地がロンドンだった。1989年1月8日という平成元年の最初の日は、ロンドンで迎えることとなった。
 その日に至る昭和の最後の数ヵ月のロンドンでの出来事は私に昭和という時代の国際的に見ての日本の特異性、特に日本の皇室への外部世界の複雑な認識を鋭利な形で突きつける結果となった。
 当然ながら平成時代はそんな昭和の閉幕に続いてスタートしたのだから、平成の特徴を理解する上でも、昭和の終わりでの私自身の体験はその後の指針ともなった。
 そうした経緯から今の私が抱くのは「昭和から平成へ、日本も世界の中ではるばると来つるものかな」という感慨である。
 昭和から平成への世界での日本を観る目の変遷への感嘆だとも言えよう。平成が終わる今では、もう想像も難しいほど異様な国際的な日本観も昭和時代にはあったのである。昭和の終わりのイギリスでの出来事はまさにその異様な日本観の爆発だった。
 当時のイギリスで今では考えられないほどの反日の嵐が吹いたのだ。しかも日本の天皇に向かっての敵意のほとばしりだった。日本叩き、天皇バッシングだったのである。
 私にとってヨーロッパの在勤は初めてだった。だからイギリスの最初の印象は当時の大多数の日本国民と同じく、日本との共通項が多く、日本に割に優しいというイメージだった。「ともに王室、皇室のある島国同士の親近」という感覚だったと言える。
 ところが1988年9月、昭和天皇のご病状の悪化が国際ニュースとして広がると、イギリスでは一気に日本糾弾の声が表面に出てきた。大衆紙の『ザ・サン』には社説の形で次のような書き出しの記事が載った。いま文字にするのも躊躇(ためら)われるほど非礼で乱暴な非難だった。