「平成」を振り返って

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顧問・元カザフスタン国駐箚特命全権大使 角崎利夫

<div><span style="font-size: 16.8px;"> 今年は平成最後の年に当たる。平成(1989~2019年)の30年間は後世においてどのような時代として歴史に位置づけされるのであろうか。振り返れば平成は米ソ冷戦の終結という歴史に残る世界の大転換から始まった。1989年11月のベルリンの壁崩壊を契機に東欧諸国で次々と共産党政権が倒れ、ついにソ連邦までが崩壊、第二次世界大戦後から続いた冷戦構造に終止符が打たれたのである。スターリンから決別し、独自の社会主義路線を歩んだユーゴスラビア社会主義連邦共和国も、ユーゴ紛争を経て体制転換した7つの独立国に分離した。このソ連東欧諸国の崩壊は当時、民主主義と自由経済体制が社会主義と国家統制経済に勝利したとしてユーフォリアをもって語られた。</span></div><div><span style="font-size: 16.8px;"> 例えばフランシス・フクヤマ(米国の政治学者1952~)は1989年に「歴史の終焉?」(雑誌National Interrest に発表した論文“The End of History?”)という論考を発表し、西欧型民主主義と自由経済体制の勝利を主張している。冷戦後の欧州における新たな統合と統合の深化の動きも歴史の終焉ムードを補強した。つまり体制転換した東欧諸国が次々にEUに加盟し、現在は旧ユーゴ諸国にその動きが広がっている。また世界的な動きとしては2006年、新たに国連人権理事会が創設された。こういった一連の流れは世界がイデオロギー対立の終焉を見たのみならず、更に一歩進んで、均質な民主的世界の創造へ動いているとして理解された。</span></div><div><span style="font-size: 16.8px;"> しかし今から振り返って見るならばこのユーフォリアは少し早過ぎたかも知れない。平成を終える時期に当たり、我々は民主主義と自由経済体制が新たな挑戦を受けているのを見ている。また極東においては冷戦の残滓が未だ残っている現実を無視してはならない。</span></div><div><span style="font-size: 16.8px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.8px;"><b>中国の挑戦</b></span></div><div><span style="font-size: 16.8px;"> ベルリンの壁が崩壊した1989年、中国では第二次天安門事件が起きた。ソ連東欧では民衆の民主化を求める動きが社会体制の転換へと繋がったのに対し、中国では共産党指導部が民主化路線を求める民衆運動を弾圧することに成功したのである。中国は1980年代から改革・開放の旗の下、計画経済から社会主義市場経済へ路線変更し、天安門事件後もその動きを加速した。当時、世界はソ連東欧の社会主義体制崩壊後のユーフォリアに浸り、世界の民主化の流れは確固たるものであり、共産党指導の下で資本主義経済の道を歩む中国も西側諸国のエンゲージメント政策によりいずれ民主化するだろうと楽観視していたと言えるのではないか。</span></div><div><br></div>