平成と日本共産党

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JFSS政策提言委員・元参議院議員 筆坂秀世

社会主義体制敗北の時代
 平成時代は、世界の激動の中で始まった。平成元年の1989年の11月には、東ドイツが自国の体制を守るために作った「ベルリンの壁」が崩壊した。この1989年は、ソ連によって政治、経済、社会体制が押しつけられた東欧の社会主義国の全体が崩壊し始めた年でもあった。
 激動は、まずポーランドで始まった。ソ連言いなりの統一労働者党に代って独立自主管理労働組合「連帯」が政権を握った。ハンガリーでは、政権党の社会主義労働者党が党名を社会党に改称して社民政党化し、政権党の「指導的役割」を規定した憲法から同規定を削除した。東ドイツでは、社会主義統一党書記長だったホーネッカーが辞職に追い込まれ、「党の指導性」規定が憲法から削除された。チェコスロバキアでも、国民の反政府運動の高まりの中で共産党書記長が辞任に追い込まれた。民衆のソ連言いなりの独裁政権への批判は、東欧全体に広がり、ブルガリア、ルーマニアでも共産党政権が崩壊した。
 1991年8月には、遂にソ連共産党が解体し、ソ連邦も崩壊していった。
 マルクス主義の最も重要な命題は、「資本主義から社会主義への移行は歴史的必然」だとするところにある。
 昭和40年、私が18歳で日本共産党に入党した際、先輩党員から手渡された勧誘本には、次のようなことが書かれていた。
 《今世界の半分近くの人々が社会主義の下で暮らしている。世界は音を立てて資本主義から社会主義へと変わりつつある。これこそが人類進歩の方向である。この速度を速めるのが君たち若者なのだ。君たちこそが社会を発展させる主役なのだ》
 その証明がソ連であり、東欧の社会主義国の存在であった。だがこの歴史的必然論が成立しなくなったのだ。それどころか、私が18歳の頃に読んだ勧誘本をもじれば、眼前で繰り広げられているのは、皮肉にも社会主義から資本主義への移行であり、この方が余程必然的に見えるのである。

社会主義世界体制は夢幻だったという日本共産党
 ソ連共産党が解体した際、日本共産党は「大国主義・覇権主義の歴史的巨悪の終焉を歓迎する――ソ連共産党の解体にさいして」( 1991年9月1日)と題する常任幹部会声明を発表し、この中で「もろ手をあげて歓迎すべき歴史的出来事である」と表明した。
 全世界を覆った「共産主義・社会主義崩壊」論に対抗するためであった。そのため、“そもそもソ連の体制は社会主義ではなかった” と言い始めた。