北朝鮮帰国事業に対する 日本政府の責任追及の動き
―日韓の新たな火種となるか―

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政策提言委員・元公安調査庁金沢公安調査事務所長 藤谷昌敏

 ある在日朝鮮人は、「私は毎年2億円を北朝鮮に送っている。我々は北朝鮮にいる伯父たちのために北朝鮮に資金を送らなければならない」と言い、またある在日朝鮮人夫妻は「兄が北朝鮮に行くと言った時もっと強く止めていれば良かった。兄に靴下や日用品、現金を何度も送った。かわいそうで、かわいそうで」と泣き、元教師は「北朝鮮があんな国だったとは思わなかった。大切な教え子をたくさん送り出してしまった」などと嘆いた。
 彼らは、日本において事業家として大成功し、普段は高級車を乗り回すほどの裕福な人々であるが、別の顔として、在日朝鮮人運動の活動家の一面も持つ。
 筆者は、北朝鮮帰国事業は、北朝鮮という国家が同じ民族を騙し、身体の自由や財産を剥奪して人質として拉致した、まさに国家的犯罪であると見ている。そして、さらに問題なのは、在日朝鮮人の家族として日本国籍(日本人妻を含む)を持つ6,800人が含まれていることである。つまり日本という国家がその身体・財産・人権を守らなければならないはずの日本人を北朝鮮に拉致されたまま何もしていないということになる。これは、謂わば「忘れ去られた北朝鮮による日本人拉致事件」であり、日朝両政府にはこの拉致事件を解決しなければならない責務があると考える。 
 また、ここ数年、民団、脱北者、日韓のメディア、知識人などが中心となって日本政府の北朝鮮帰国事業への責任を問う声を強めてきている中、韓国政府の対日姿勢を批判する動きもあり、北朝鮮帰国事業が新たな日韓間の問題として浮上する可能性がある。
 本稿では、論点として①北朝鮮帰国事業とは何だったのか ②帰国運動が推し進められた原因とは ③帰国者たちはどのような扱いを受けたのか ④テッサ・モーリス・スズキ氏が主張した日本政府策略説とは ⑤最近の日本政府追及の具体的動きなどを説明し、最後に今後予想される動きについて考察する。
 
1 北朝鮮帰国事業
 北朝鮮帰国事業が始まったのは1959年12月14日、975人の在日韓国人を乗せた船が日本の新潟港から出発したことから始まる。以降1984年までの25年間で、延べ180回にわたって約93,000人の人々が日本を後にした。前述のように、その中に約1,800人の日本人妻を含む6,800人の日本国籍者がいたのである。
 当時、朝鮮総聯らによる「北朝鮮はパラダイス」「地上の楽園」という宣伝文句を信じ帰国した在日朝鮮人の人々であるが、北朝鮮に到着した彼らを待ち受けていたのは、「楽園」ではなく、階級差別と人権侵害の嵐であり、北朝鮮の敵と見做されて「不穏分子」「日帝スパイ」などの言いがかりを受け、多くの者が政治犯として強制収容所に送られ、激しい拷問や重労働の果てに死亡もしくは行方不明となった。