永楽帝と習近平を隔てる600年の歳月

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顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男

 昨年のほぼ1年間を通して某民放BSテレビが『大明皇妃』という中国歴史ドラマ(全62話)を放映していた。主人公は明王朝第5代皇帝・宣徳帝の皇后であった孫若微で、中国の人気女優であるタン・ウェイが演じている。韓国ドラマの場合もそうだが、中国の歴史ドラマは脚色が甚だしく史実に忠実とは言い難い。ただ、その点を割り引いても、巨額の予算を使って撮影した映像には見応えがあり、特に宮殿の壮麗さと戦闘シーンの迫力はNHKの大河ドラマなどは到底足元にも及ばないほどの出来栄えである。歴史好きの私としては史実歪曲のストーリー展開が大いに気にはなったが、半分はフィクションだと割り切ればそれなりに楽しめるTVドラマであった。
 実は私の関心は全62話の前半、31話まで準主役級で登場する永楽帝(朱棣)の描かれ方にあった。永楽帝の治世は西暦1402年から1424年までの22年間で、決して長期在位ではないが、その64年間に及ぶ生涯は実にドラマチックである。彼の人生最大の賭けは1398年7月に第2代皇帝・建文帝に反旗を翻し、3年に及ぶ激闘の末についに皇帝側を打ち破り自ら帝位に就いた反乱、所謂「靖難の変」である。建文帝は明の初代皇帝・洪武帝の孫(長男・朱標の子)であり、洪武帝の四男である永楽帝にとっては甥にあたる。叔父が皇帝となった甥を武力で打倒するという骨肉の争いだが、その実は「謀反」・「反逆」・「簒奪」であり、中国の儒教道徳からすれば許されざることである。事実、この時、建文帝の側近や主だった臣下はことごとく処刑され、明代を代表する大儒と言われた方孝儒に至っては命に背いたとの理由で一族郎党全員873人が刑場の露と消えた。この陰惨な出来事は後々まで明史の汚点として記憶されることになる。永楽帝の治世はこれらの「負い目」を背負って船出したのである(因果応報とはあるもので、永楽帝の次男・三男も彼らの甥にあたる第5代皇帝・宣徳帝に謀反を起こしている。この時は皮肉にも甥の側が勝利した)。
 中国の習近平国家主席はその国家統治スタイルの近似性から永楽帝に比定されることがある。永楽帝の治世には光と陰が相半ばしているが、それは習近平の場合も同じであろう。永楽帝の治世は15世紀初めの四半世紀で、今からちょうど600年前に当たる。私は永楽帝の肖像画を見ていて何となく「習近平に似ているな」と思ったのが両者を対比して見るようになったきっかけである。勿論、時代背景も国を取り巻く内外情勢も全く異なるが、その人物像や統治スタイルに多くの共通点があることに興味を覚える。