2016 年7 月12 日に出された南シナ海問題に関する国際的な常設仲裁裁判所の諸判決は、同海域における一連の紛争に対する主要なターニングポイントになったとして広く認識されることとなった。この判決は、この海域のみならず、その周辺地域における主要なプレーヤーたちの政策に対して大きな影響を与える「ゲーム・チェンジャー」となる可能性を有している。拙稿では、仲裁の発端からのプロセスのみならず、南シナ海問題における次のステップに向けた影響を理解するため、ベトナム自身がこの仲裁裁判所の判決をどのように評価しているのか、といった点を改めて見つめ直すものである。またこれら以外に、筆者自身の視点として、東シナ海地域の海洋紛争対策について、日本がどのような建設的な貢献をし得るのか、という点についても明らかにしたい。
フィリピンによって開始された仲裁プロセスに対するベトナムの初期の反応
フィリピン政府は、2013 年1 月22 日付の通知文書において、中国政府に対し、海洋法に関する国際連合条約(UNCLOS)付属文書VII に基づく仲裁手続きを開始すると公式に通知をした際、同時にベトナム政府に対しても主要な政策的質問を投げかけている。これはベトナム政府がこのフィリピン政府の動きに対し、周辺国及び地域全体との外交関係を維持しながら、自らの南シナ海における法的権益を最大限防護し、また発展させるため、形式的に、そして実質的にどのように反応するつもりなのかを問うものであった。当時のベトナムが検討していた課題にはいくつかの要因が影響していた。
この仲裁プロセスに含まれていた課題は、スカボロー礁に関する部分を除けば、スプラトリー諸島の主要な領有権主張者たるベトナムが従来主張していたことでもあった。自国の権利義務に対する明白な影響が生じることもあり、当初掲げられた問題は、ベトナム自身がこの問題に対して欠くことのできない当事者であり、それ故にベトナムがこの仲裁手続きに加わることこそ、絶対に必要ではないのか、というものであった。
南シナ海問題における初の法的手続きとしてUNCLOS 付属文書VII の下で提起された約十件のケースは、同問題の複雑な性格もあり、第三者であるベトナムが果してこの仲介手続きに介入できるのか、また、どの点を優先し進めていくかということが明確にされることはなかった。このような手続き上の不透明さは、中国政府が仲介手続きそのものを認めず、それに参加しなかったことによって一層深まることとなった。