日本国憲法成立過程2題

.

顧問・駒澤大学名誉教授 西 修

「日本国憲法は我々米国人が書いた」
 8月15日、ジョー・バイデン米国副大統領は、ペンシルバニア州で開かれたヒラリー・クリントン候補を支持する集会で、共和党の大統領候補者ドナルド・トランプ氏が日本の核保有を容認する発言を繰り返していることに対し、次のように語った。
 「日本は我々が書いた憲法で核保有国になり得ないことを彼は理解していないのか。学校で習わなかったのか」。副大統領の発言をクリントン候補は、笑顔で頷きながら聞いていたという。
 このバイデン発言に鋭く反応したのが、17日付けの朝日新聞『天声人語』である。同コラムは、発言が「『アメリカから押しつけられた憲法だから改憲すべきだ』と主張する人たちが歓迎しそうな話だ」として、改憲派を牽制し、総司令部で短期間に作成された草案には日本の研究者たちの意見が参照されたこと、長年に亘り日本国民がこの憲法を使い込んできたこと、そしてそのような戦後史を無視するようなバイデン発言は傲慢であると批判している。
 けれども、「日本国憲法を米国人が書いた」という事実は消しようがないこと、総司令部案の作成にあたり、日本の研究者の意見がどの程度、反映されたのか検証が不十分であること、作成までの全過程において逐一、連合国軍総司令部(GHQ)の承諾を得ていたことなどに鑑みれば、朝日の批判が的を射ているようには思われない。
 産経新聞ワシントン駐在特派員の古森義久氏によれば、「日本国憲法を我々が書いた」というバイデン副大統領の発言は、日本側での取り扱いとは異なり、米国側では、なんの話題にもなっていないという(産経新聞2016年8月20日付)。「日本国憲法を米国人が書いた」というのは、米国の有識者の間では、共通の認識とされているからである。
 ただ、バイデン氏が日本国憲法の成立過程のみならず、解釈にまで立ち至っているのは、余計な介入と言わなければならない。何故ならば、日本国政府は、核兵器について、自衛用と攻撃用に分け、大陸間弾道ミサイル(ICBM)に搭載するような攻撃型の核兵器は禁止されるけれども、自衛のために用いられる必要最小限度の核兵器は、憲法9 条の禁ずるところではないとの解釈をとってきているからである(1973年3月23日、1978年3月11日の答弁など。この政府解釈の是非については、ここで立ち入らない)。

●米国歴代指導者の発言
随分前になるが、リチャード・ニクソンが副大統領時代の1953(昭和28)年11月、講和条約締結の国賓として来日した際、日米協会で、以下のように述べた。