第156回
「中国によるチベットへの弾圧と現状」

長野禮子
 
 香港や新疆ウイグル自治区等で圧政を続ける中国共産党に対する国際的な批判が強まる中、今回は拓殖大学教授のペマ・ギャルポ氏をお招きし、中国によるチベット弾圧とその現状についてお話頂いた。
 まず、中国共産党は現在のチベットは古くから中国の歴史的な領土であったと主張しているが、中国はチベットを1950年まで一度も支配したことがない。寧ろ、北京がチベットに綿製品等を献上する、謂わば朝貢していたのである。中国共産党は国家支配のために自国民を平気で騙す行為に出ていると批判した。また、1950年に中国がチベットに武力侵攻するまでは、チベットと(当時の)英国領インド間の国境は英国との条約により画定されていた。現在はインド政府が継承している。このため、チベットが中国の一部であったとする中国共産党の主張は歴史的根拠が全くないということである。
 更に、ペマ氏は中国がチベットを重視する理由についても言及。ミャンマー・ネパール、ブータン等と国境を接している上、高地にあるため周辺地域への攻撃が容易である地政学上の理由の他、レアアースや石炭といった豊富な地下資源も理由の1つだという。つまり、中国共産党にとって重要なものは”領域”なのであり、その地域の住民や文化では決してないということである。
 また、1951年には北京政府とチベットの間で「十七ヵ条協定」が締結された。これは軍事と外交をそれぞれ中国側へ委譲する、謂わば最初の「一国二制度」と呼べる内容であった。この協定には中国側によるチベットの内政干渉、及びダライ・ラマ法王を頂点とする体制に一切手を触れないことが定められていた。これは1984年に英国と香港返還について締結した「英中共同声明」のようなものとも言えるが、「十七ヵ条協定」はチベットにおいては約6年間しか守られず、1957年頃からチベットは4つの行政区(青海省、四川省、雲南省、チベット自治区)へ分割された。
 1959年、人民解放軍がチベットに侵攻。チベット人の怒りが爆発して一斉蜂起した。しかし、圧倒的な軍事力を有する人民解放軍は、これを武力鎮圧し、ダライ・ラマ法王はインドへ出国してチベット亡命政府を樹立する。ペマ氏は当時、僅か7歳だった。ペマ氏の兄も人民解放軍に銃殺されたという。ダライ・ラマ法王に伴って家族と一緒にヒマラヤを越えインドに逃れたペマ氏は、アッサム地方の難民キャンプに入った後、12歳の時に初めて日本の地を踏む。この間、チベットでは約120万人もの人々が犠牲となった。
 現在、チベットでは5人以上が集まると集会と見做され、届け出の無い場合は違法行為として取り締まりの対象となるなど抑圧的な法規制が敷かれている上、寺院も含めチベットの至る所に監視カメラが設置され、24時間体制で当局による監視が行われる状況になってしまった。
 中国共産党が結党100年を迎えた2021年は、彼らによるチベット「解放」から70年を数える。この年に合わせて中国は「チベット白書」を発表し、チベットが中国の歴史的領土である旨を記載するとともに、中国共産党の諸政策によりチベットが豊かになったとして同党による統治を正当化した。だが、昨年1月から7月の間、彼らは約54万人のチベット人を職業訓練と称して強制移住させた。これは貧困解決策と称したチベット伝統文化(生活様式や農耕技術)の破壊行為に他ならない。中国の都市部では賃金が上昇傾向にあることから、中国政府は安価な労働力をチベットや新疆ウイグル自治区から調達している。
 このように中国共産党によるチベット支配は様々な形で歴史的事実が覆い隠され、一方では既成事実を積み上げ、統治の成果を強調する手法がとられている。同様のロジックは内モンゴル自治区や香港でも見られ、やがて台湾に飛び火しようとしている。
 我が国としてはこれを対岸の火事として眺めるのではなく、中国のアキレス腱をしっかりと捕らえて正義を訴え続けることが重要である。
 
*新型コロナ感染拡大防止のため通常の開催を避け、少人数での開催とした。
テーマ: 「中国によるチベットへの弾圧と現状」
講 師: ペマ・ギャルポ 氏(JFSS政策提言委員・拓殖大学国際日本文化研究所教授)
日 時: 令和3年7月16日(金)10:30~12:30
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