書評:火箱芳文著『即動必遂』

特別研究員 関根 大助
  
sekine タイトルの「即動必遂(そくどうひっすい)」という言葉は、著者である元陸上自衛隊陸上幕僚長の火箱芳文氏が、各部隊に訓示として繰り返し述べたという氏自身の造語である。言葉の趣旨は「発生した事態に対し即行動し、編成装備の持続力をもって、任務を必ず成し遂げる部隊となれ」ということである。著者は、東日本大震災における陸上自衛隊の災害派遣でこれを実行することができたと本書で述べている。
 阪神・淡路大震災の際には、自衛隊は初動が遅れたため、生存者の救出者は165人と、警察(3,495人)や消防(1,387人)と比べて遥かに少なかった。しかし、本書に書かれているように東日本大震災において自衛隊は、生存救出を19,286人と大きく伸ばしている(警察は3,749人、消防は4,614人)。この大震災を「戦(いくさ)」であるとして、陸上自衛隊を指揮した元陸幕長の戦いの記録が本書の内容である。
 まず、著者が防衛省の事務次官室で会議に出席していた際に地震が発生する場面。緊張感と臨場感が溢れる描写の中で、この非常事態の際に著者が瞬時に自衛隊が実行すべきことを思案し指揮を執る様子は、評者のような凡夫から見るとさながら超人のようである。その際、海上自衛隊や航空自衛隊と異なり、陸上自衛隊には「陸上総隊司令官」というべき全軍司令官が存在しないため、陸幕長である著者が各方面隊に指示を出した。この行為は本来規律違反と批判されても仕方ないが、初動の遅れが人名救助において致命的であるため、辞任覚悟で判断したのだという。
 自衛官が戦う現場の過酷さは想像を絶するものだったようだ。この大震災では、住民の避難誘導を終えた直後に津波に流されてしまった自衛官、そして過酷な作業が続く災害派遣中に亡くなった3人の自衛官がいた。また、原発事故の恐怖によってパニックになり小型トラックを盗んで逃走した自衛官もいた。自死した自衛官も数人いたし、災害派遣後に退職した自衛官も多数いたのだという。
 過酷な現場での作業を知る一方で、自衛隊がもつ軍隊的な組織ならではの自己完結能力というものが、いかに頼りになるものかということを、あらためて強く実感する。そして同時に自衛官の質の高さに感動を覚える。単なる武人としての質だけではなく、そこには人としての質も含まれる。たとえば、ろくに休めず着替えもできないような過酷な作業の中で、被災者に自衛隊の給食を与えて自分は缶詰を食べる自衛官が多くいた。また、ご遺体への自衛官の配慮などは、被災地とはほとんど関係のない評者も思わず感謝の言葉を述べたくなる。
 本書を読んでいて一際手に汗を握るのは、やはり福島第一原子力発電所への自衛隊の対応である。その中でも驚いたのが、2号機にホウ酸を撒く必要が進言された際、後に「鶴市作戦」と呼ばれる作戦計画が立てられたことだ。「鶴市作戦」は状況の困難さゆえに被曝覚悟で隊員が建屋に降りるという決死の作戦である。この名称で呼ばれるようになったのは陸幕長である著者が、12世紀の「八幡鶴市神社」にまつわる治水のために人柱となった「お鶴と市太郎」の伝説を、ミーティングの際に話したことがきっかけのようだ。結局この作戦は実行する必要がなくなったが、実際には他にも多くの決死的作戦が計画されていたという。自衛官たちがこのような悲壮な決意をもつに至る事態があったことを、評者は初めて知った。
 いずれにしても、昨今陸上自衛隊にはその規模の縮小に関する圧力があると思うが、東日本大震災では、人類が陸上で生活しているゆえのランドパワーの重要性をまざまざと見せつけたといえるだろう。
 東日本大震災は、著者が地震発生時に正に「天は無辜なる人々にこんなひどい仕打ちをするのか!」と憤ったような悲劇である。同時にこの天災を通じて我が国が得た経験は計り知れない。陸海空自衛隊で人員10万人を超える統合任務部隊の編成という経験、「トモダチ作戦」を通じてわかった日米同盟のあり方、原子力との向き合い方、本書の最後の章で語られている災害出動を通じて著者が感じた日本の防衛のあり方・・・ 痛切な経験を乗り越えて、将来においてその教訓を最大限に生かすことが我々の使命であろう。そのためにも一人でも多くの人に読んでほしい一冊である。




    
  著 者: 火箱 芳文
  マネジメント社
  発行日: 2015年3月5日
  定 価: 1600円(税別)

  
 

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