12月28日、岸田文雄・尹炳世(ユン・ピョンセ)日韓外相会談において、長年両国の棘になっていた慰安婦問題につき最終的かつ不可逆的に解決したとの合意がなされた。両外相は記者会見に臨み、合意された文章を読み上げて、公に合意を確認した。岸田外相はその後朴槿恵大統領と会い、合意を確認した。安倍総理も電話にて朴大統領と会談し、合意を確認するとともに祝意を交換した。
韓国内では、強硬派の挺身隊問題対策協議会(挺対協)と数人の元慰安婦がこの合意に反発し、左翼系世論も朴政権批判を強めるであろう。しかし、米国をはじめ国際社会はこの合意を歓迎している。この問題は、政府間ではもとより、国際世論上もほぼ終止符を打ったとみてよいだろう。
以下多少長くなるが、かつて慰安婦問題の前線にあった筆者として、総括しておきたい。
1.経緯を簡略に振り返る
(1) 筆者は、1996年後半の6カ月間に村山富市内閣のもとで、その後1998年初めまでの約2年間に橋本龍太郎内閣の下で、内閣外政審議室長(当時。現在は内閣官房副長官補と改名)として官邸における慰安婦問題責任者を務め、関係国との折衝の調整を行い、またアジア女性基金の募金や運営管理に携わった。台湾、フィリピン、インドネシア、オランダとは、外務省の努力により、相手国政府の理解のもとで上手く収拾した。
(2) 韓国についても、基金関係者やNGOの努力により、61人の元慰安婦が解決策を受け入れた。アジア女性基金による200万円の償い金の支給と政府による300万円の医療福祉事業に加え、橋本総理自らのサイン入りの反省とお詫びの手紙が元慰安婦に届けられた。しかし、より強硬な一部元慰安婦と韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が頑強に拒否し、これに呼応する朝日新聞など日本のいわゆるリベラル勢力が足を引っ張った。アジア女性基金の中には、連合、特に自治労やリベラルな学者、女性が含まれていたにもかかわらず、であった。
以後、この問題は両国間の棘となり、さらに韓国政府と韓国の反日的マスコミ、米国などに住む在外韓国人による反日キャンペーンへと発展した。特に朴政権はこの問題に固執し、日本の首脳との会談を拒否し続けるとともに、国連や米国などにおいて国際的なキャンペーンを拡大し、ついには中国と反日共闘戦線を組むに至った。
(3) 台湾およびフィリピンの元慰安婦は、両国政府の協力もあり、結果として全員解決策を受け入れた。インドネシアは、元慰安婦を特定できないなどの理由で、女性を中心とした老人福祉施設を数か所作ることで合意した。オランダについても、オランダ政府の理解と日本政府の真摯な対応により、日本の謝罪を受け入れた。
中国政府は、この間、一切関わりを持とうとしなかった。最近になって中国政府は慰安婦問題を蒸し返しているが、これは習近平政権になってから強化された反日キャンペーンの中に同問題が組み入れられたからである。
2.今回の合意に導いた韓国側の切羽詰まった事情
(1) 日本国内においては、竹島問題や他の歴史問題に関する韓国の執拗な反日言動に対し、反韓感情が急速に強まり、政府や政治家の韓国に対する姿勢も硬化した。筆者も例外ではない。日韓関係は、1965年の国交樹立以来で最低となった。
韓国にとって本当は必須不可欠である日本は、今迄のように宥和政策をとらなくなった。安倍政権は頭を高くもたげ、韓国に圧倒されることなく適宜反論・反撃し、他方で巧みかつ精力的な外交、国際世論への働きかけにより、流れを日本に引き寄せていったのであった。日本の世論は大きく反韓に傾き、わが外務省も態度を硬化させて筋論を唱えた。戦後70年談話や米国上下両院における演説などにより、歴史認識を含めた安倍総理の発信は、内外において安倍政権への評価を好転させた。
(2) この間、韓国に対する北朝鮮の圧力は強まったにもかかわらず、韓国は、北朝鮮に対する日韓情報協力の強化に資する措置を拒否した。また、いざ韓国の有事の際に助けになるはずの日本の安保法制に対しても、冷淡ないし批判的な態度を示し続けた。経済面でも、韓国の外貨危機に備える外貨スワップ協定の改定、日韓FTAなどを拒否した。TPPが妥結するや、韓国はあわててTPPへの参加を真剣に考えるようになった。我が国への依存度の高い韓国経済は、反日言動のブーメラン効果により大きく煽りを受け、経済界は政府に対する不満を公言するに至った。日本人観光客も激減した。天安門の楼上で習近平に笑顔を振りまく朴大統領やソウルの繁華街明洞などでの中国人の氾濫を目にして、朝鮮戦争での中国人民解放軍の韓国侵入、さらに遡って朝貢国時代を想起した韓国人も少なくないであろう。いわば、韓国は、反日感情に流されるままに、国益そっちのけで「突っ張った」のであった。しかし、その突っ張りや見栄も、限界に来たのである。
(3) 韓国の反日キャンペーンに感化された米国議会の一部、欧米諸国のマスコミやリベラルな学者なども、対日批判に加わるようになった。しかし、韓国のやりすぎは、バックファイヤーし始めた。米国を含め韓国の友邦諸国の眉をひそめさせるに至った。戦後70周年の機に、戦勝国でもない韓国がこれ見よがしに戦勝国を誇示する中国に傾斜するにつれ、また、米国内で韓国ロビーやそれの影響を受けた一部政治家が慰安婦像の設立や米国教科書への記述要求などを重ねるにつれ、韓国の同盟国米国はフラストレーションを高め、ついには、韓国に対し陰に陽に軌道修正を求めるに至ったのである。
特に米国における安倍総理の評価の好転は、反安倍キャンペーンを展開してきた韓国の予想を裏切ったであろう。米国政府は、普天間基地移転への不退転の決意や安保法制の成功裏の国会通過などにより安倍支持に回り、韓国政府への批判を高めた。
(4) 国際社会も、韓国への同情を失っていった。特に、加藤産経ソウル支局長を朴大統領に対する名誉棄損罪を理由に逮捕し、ついに起訴した韓国の検察とその裏に控える朴大統領一派は、韓国の法廷自身の無罪判決によってメンツを失ったのみならず、報道の自由など基本的人権の扱いに対する広範な国際的批判を惹起し、韓国の「民主主義」への疑義を広めた。
何かと言えば反日記事で紙面を埋める韓国のマスコミも、朴大統領や政府への批判を強め、経済界も危機感を表明した。「日がますます高く昇る日本」と自らのさえない現状を比較した韓国人は、根本的な反日感情を変えたわけではないであろうが、自己の利益により路線を変えるに至ったのであろう。
3.今回の合意に至った日本側の事情
いずれこの点はより明らかになるであろうが、現段階で筆者の推測は次のとおりである。
(1) 本年は戦後70年、日韓国交樹立50年の節目であり、安倍総理にも政府にも、慰安婦問題のような20世紀前半の問題は本年でケリをつけるべきだとの決意があった。安倍総理が合意直後の官邸詰め記者とのやり取りにおいて、「8月の談話で申し上げた通り、歴代内閣は反省とお詫びの気持ちを表明してきた。その思いに揺るぎはない。子孫に対し謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない。その決意を実行に移すための合意だ」と述べたことに、端的に表れている。70年談話でも繰り返した決意である。
(2) 外務事務レベル及び外相レベルでの交渉において、下記の要件が満たされることが明らかになったことが、日本側に合意を決意させたのであろう。
(イ) 1965年の協定ではっきりさせた我が国の法的立場が守られるという絶対条件が満たされることになった。
(ロ) 日本軍の関与は認めるが(軍が慰安所を管理し、慰安婦を戦線に連れ回った以上「関与」は否定できない)、軍による強制連行には言及しない(日本側はその証拠がないとしてきた)ことになった。
(ハ) 設立される韓国「財団」への拠出が日本政府の予算であり、その規模も10億円と多少拡大した以外、全体として橋本内閣当時の解決策から大きくかけ離れていない。アジア女性基金が解散した以上、同じような寄付を国民に求めるわけにはいかない。他方、韓国人元慰安婦にはアジア女性基金からの償い金のほかに医療福祉事業のための日本政府資金が出ていたので、今回の合意により後者が拡大しても、日本の基本的立場は損なわれない。
(3) 中国のアグレッシブな東シナ海や南シナ海への野心や北朝鮮の暴走を抑止するためには、強固な日米同盟、米韓同盟のほか日韓関係の修復が必要であった。
(4) 中国がこれ以上韓国を自陣に引きつけて、共同で反日キャンペーンを展開することを阻止する必要があった。
4.今回の合意の日本にとっての意義
日本から見れば、次の通り、画期的な意義があると考える。
(1) 日本側の立場は、慰安婦問題は(他の問題も含め)、1965年に締結された日韓基本条約と同時に締結された「日韓請求権並びに経済協力に関する協定」において、「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認」した、というものである。
今回の合意において、「韓国政府が設立し日本政府が10億円の拠出を行う元慰安婦支援財団による協力事業が着実に行われること」を前提するものであるが、「慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決されることを確認した」のは、上記の協定を確認するとともに、今後韓国はこの問題を永久に「蒸し返さない」ことを約束させたものである。
(2) 日本政府は軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を傷つけたとして「責任を痛感し」、安倍首相が「心からの反省とお詫び」の気持ちを表明した。根本的には、これは河野官房長官談話と元慰安婦に対し送られた橋本総理およびそれ以降の総理の手紙と同じ文章である。ただし、歴代総理の手紙には、「道義的責任を痛感しつつ」とあるのに対し、今回の合意は単に「責任」としているので、韓国側が「法的責任」を認めたと解釈する余地を残したと言えなくもない。この点は、日本国内でも問題になるであろう。岸田外相は、事あるごとに、今回も交渉や共同記者会見の場で日本の法的立場を繰り返したが、これに対し韓国外相や大統領が少なくとも公には否定しないのは、このこと自体が合意の一部をなしているからと推測される。
(3) 「両国政府は国連などの国際社会で慰安婦問題での非難・批判を控える」ことにも合意されたが、これは、主として韓国側を縛る約束である。日本は、韓国側の不当、執拗、かつ国際社会に広げた慰安婦キャンペーンの被害を受け、その都度反駁するに過ぎなかったからである。かつては鷹揚であった日本が、国連、ユネスコ、各国において、毅然として強く反駁するようになったことから、韓国側も「相互主義」のオブラートをまとうことを条件に、国際キャンペーンを「政府としては」控えることを約束したのであろう。
慰安婦関連文書をユネスコの無形文化財に登録しようとした中韓の試みは、本年は実現しなかった。中国は蒸し返す構えである。韓国は、今回の合意を踏まえれば、国際的な場であるユネスコの場でそのような動きをすることはできないものと考えるべきである。仮にそうなれば、日本政府は合意違反、少なくとも合意の精神に反すると反駁できるし、ユネスコほか国際社会も日本に加勢するであろう。
(4) 何よりも、壊れた日韓関係が改善されることは、双方の安全保障や経済にとって大きな意味がある。北朝鮮への対抗力も増す。韓国を自陣に引きいれて反日キャンペーンに「大義」を与えようとしてきた中国政府への大きな牽制となる。北東アジアの地政学的状況は、日本及び米国にとって有利なパラダイムシフトを起こすことになろう。
(5) 米国ほか欧米主要国における日本批判も収まることは間違いない。米国務省のトナー報道官は、韓国系団体に対し「合意と完全な履行を支持するよう望む。それは融和を促進する重要な行為であり、合意の成功には市民社会の支持が極めて重要だ」と述べた。ニューヨーク州の韓国系団体「韓米公共政策委員会」は合意を喜び、今後はこの問題をめぐる政治的活動をやめると表明した。慰安婦像の設置などを主導してきた「カリフォルニア州韓国系米国人フォーラム」は、合意を批判したが、流れは変わるであろう。
ドイツほかの欧州諸国や豪州、アセアン諸国なども、合意を肯定的に評価している。次期韓国大統領への野心があるとの噂もある国連の潘基文事務総長は、この問題に対しては慎重な態度をとってきたが、合意を受けて歓迎のコメントを発出した。
5.合意の問題点と日韓両国のあるべき対応
今回の合意は、韓国においては野党や反政府団体特に挺対協から強く批判を受けることは予期された。合意発表直後から、挺対協および強硬派で知られたごく少数の元慰安婦から韓国政府への非難批判が始まっている。左翼系野党も同様である。慰安婦問題は、日韓の問題を離れて韓国の政局問題になっている。
他方、日本国内においても、一部の強硬な保守勢力から批判を受けるであろう。
しかし、外交はゼロサム・ゲームではないし、どちらも本質にかかわると考えること以外は少しずつ妥協して決着する。今回の合意は、日本にとって決して悪くはない。
この合意の結果得られる日韓修復は、北朝鮮や中国との関係でも日本に有利に働くし、国際社会における日本の威信や評価を高めるであろう。現に、米国政府のみならず米国のマスコミ(とかく日本に批判的なニューヨークタイムズを含め)も肯定的に評価しており、欧州諸国や中国以外のアジア諸国の政府やマスコミも同様である。
今後、問題が生じるとすれば、次のようなことであろうが、問題を解決ないし緩和させる責任は、第1に韓国政府や世論、第2に我が国の政治家や世論にあろう。
(1) 韓国においては、挺対協は存続をかけて反対ないし妨害が予期されるし、その反応は予想通り、合意を全否定するものである。嘗て日本の申し出を受け入れた61人の元慰安婦も彼らの圧力を受けたが、これから受け入れようとする元慰安婦への圧力も倍加するであろう。この問題が解決すれば、挺対協の存在理由がなくなるからである。あたかも、仮に日本が捕鯨やイルカ漁をやめれば、グリーンピースの存在理由の大きな部分が消えることと同様である。
合意成立の翌日、第1および第2外務次官がそれぞれ挺対協と「ナヌムの家」を訪れて、一部の元慰安婦たちを説得したが、予見された通り強硬な反発にあった。朴大統領も元慰安婦や世論の説得に乗り出したが、まだ本気を出していないようだ。
余生を平穏にかつ不自由なく過ごしたいと考える元慰安婦たちへの彼らの圧力は、韓国政府や良識ある韓国人たちの責任で排除すべきである。朴大統領以下は、勇気を持って立ち向かう必要がある。米国(対日非難を採択した議会を含め)ほか国際社会も、今度は批判の矛先は挺対協やその支持者に向かわなければならない。
(2) 日本が期待した、合意の文書化は達成できなかった。文書があれば、韓国政府を後々まで縛る可能性が高まる。しかし、両国外相が双方および国際的のマスコミの前で合意文書を読み上げ、それが政府やマスコミの活字になった。文書化された合意とあまり大差はない。両国国民のみならず、米国をはじめ各国が証人となったのである。
朴政権の後継者たちが、仮に蒸し返しても、日本は毅然と拒否すればよく、非難されるのは彼らであろう。いわば、主客が転倒したのである。
(3) また、日本政府が目指した在韓日本大使館前の慰安婦像の撤去については、韓国外相が政府の努力を約束したことで終わった。合意後、反対派はこの像の周りに集まり、挙句の果てに修理中の日本大使館内部に侵入し、警察によって排除された。本来、大使館の威信や執務を妨げるこの像の設置や存続を認めることは、外交関係を定めたウィーン条約によると、受け入れ国である韓国政府の責任で除去すべきものである。これまで韓国政府は、日本政府の要請を無視し、ウィーン条約違反を犯してきたが、もはや放置はできないのである。さもなければ、韓国政府の威信や国際約束遵守の姿勢が大きく損なわれるであろう。
そもそも、自分たちの祖母に当たる方々が悲惨な目に会ったことを国の内外でこのような形で「記念」すること自体、人間の本性に照らし大いに疑問がある。中国政府がかつてこの問題に関与しようとしなかったのは、大国中国としての誇りが恥部をさらけ出すことに抵抗感を覚えさせたのであろう。韓国人は、仰々しい慰安婦像キャンペーンが、自分たちの先達(慰安婦のみならずそれを許した当時の韓国人)の恥を世界中にばら撒いていることに思いを致すべきである。
(4) 合意の報に接した台湾やフィリピンにおいて、同じような処遇を日本に求める声が上がっている。台湾においては、馬英九総統が日本政府と交渉するよう、日台関係を扱う窓口機関に指示したとの報道もある。台湾やフィリピンについては、橋本内閣時代にすべて決着した話であり、新規の要求に日本政府がどう対応するか注目したい。
中国は、かつて慰安婦問題に関心を示さなかったが、習近平政権は対日圧力手段として活用しようとしており、何らかの対日要求を行う可能性は排除されない。
今回のせっかくの合意が、いったんは閉じられたパンドラの箱を開けることのないことを願っている。
(5) 我が国においても、一方においていわゆるリベラル系ないし左翼系のマスコミや自虐的な有識者、他方においては極右や国粋主義者からの批判が続くであろう。来年早々国会が始まれば、一部野党が安倍首相や政府を攻撃するかもしれない。一部マスコミが煽る可能性もある。
しかし、日本の国益や日本人の国際的評価を考えれば、今回の合意は「最大多数の幸福」をもたらすはずである。韓国側が約束を履行すれば、日韓双方の相手に対する感情も沈静化し、竹島問題など残るにしても、日韓の関係は外交安全保障や経済・人々の交流を含め、正常化に向かうと期待される。
少なくとも、日本人は、堂々とした態度で今回の合意を受け入れ、その実施を静かに見守るべきではないか。これに反対し批判する向きは、自らが交渉担当者であったら、この難しい問題にどう対処できただろうかと、胸に手を当てて自問すべきであろう。「こうあるべきであった」と言うだけでは不十分である。「自分ならこうした。韓国をこう説得できた」と言える者だけが、批判を許されるであろう。
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