3月11日の大地震ならびに大津波でお亡くなりになった方々のご冥福を
お祈りするとともに、被災者の方々に心からの御見舞いを申し上げ、
一日も早い復興をお祈り申し上げます。


御神体は日本海軍艦艇の模型、祝詞は「軍艦マーチ」
―保安堂海衆廟(台湾高雄市)―  
政策提言委員・拓殖大学海外事情研究所助教
 丹羽 文生
 8月下旬から9月上旬にかけ、台湾の南西部、海沿いにある高雄市を訪問した。高雄市は、天然の良港を有し、西南に海が広がり、南北に愛河が流れる「水の都」として栄えてきた台湾第2の都市である。今では高層ビルが林立するアジア有数の国際都市に変貌したが、その一方で、少し路地に入ると、日本統治時代に建てられた日本式の木造家屋が見受けられる。明治、大正、昭和の日本の匂いが残る街並みが、ノスタルジーを感じさせてくれる。
 そんな高雄市の郊外に保安堂海衆廟という祠がある。「海衆廟」とは、海で発見された身元不明の遺体を祀るところで、地元の漁民は漁に出た時、網に遺体に掛ると、この海衆廟で弔った。
 戦後間もなくのことである。大東亜戦争時に沈没した大日本帝国海軍艦艇のある沖合いで漁をしていた漁民が2つの頭蓋骨を発見した。漁民は、その頭蓋骨を丁寧に引き上げ埋葬し、手厚く供養した。すると、それ以降、大漁が続いたため、1953年には保安堂を建設して祈りを捧げ、いつしか守り神として信仰を集めるようになった。
 1968年、蘇現という年老いた漁夫が朝早く出漁した時のことである。その日は湿った空気が流れ込んで妙に蒸し暑く、蘇現は、つい船の上で居眠りをしてしまった。すると、夢の中に弔われた2人のうちの1人という男が現れた。彼は、第38号哨戒艇の艦長で、日本に戻りたいので何とか手助けしてほしいと告げた。
 海衆廟には、船体に「にっぽんぐんカん」と記された艦艇の模型が御神体として安置されている。日本に帰るようにとの思いを込めて造られたもので、漁民は海の安全や大漁を願って朝晩に祝詞として「軍艦マーチ」を流す。
 保安堂海衆廟は高雄港洲際埠頭の建設に合わせ、2007年の旧暦9月19日、もともとあった小港区から鳳山区に場所を移した。今は新たな祠を建設中である。建物の正面には富士山と桜、江戸時代の浮世絵に見られる日本女性の美人画が描かれている。
 聞いたところによると、保安堂海衆廟の周辺に住む漁民たちは、艦長が眠る靖国神社に参拝するために、何度も日本に足を運んでいるという。
 日本人を神として祭る祠は、台湾には数多く存在する。世界広しと言えど、ここまで日本人を慕う国は台湾をおいて他にはないだろう。

       
            海衆廟に艦艇のご神体として安置されている「にっぽんぐんカん」の模型

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