「日本の8月、異常な放送続く」
―戦争体験を語り継ぐことが「戦争抑止に繋がる」は偽善―

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会長・政治評論家 屋山太郎

 5~6年前までは8月を日本で過ごすことを避けていた。贅沢といえば贅沢だが、日本に居たくないのは、日本のテレビや新聞が戦争反省一色になり、総じて暗い時間になるからだ。今年は思い切ってテレビをつけ放題にしてみたが、どれもこれも不愉快というしかなかった。
 8月は広島、長崎の原爆投下、終戦記念日があるから、戦争の追悼記事、終戦日前後には戦争反省続きである。ラジオやテレビは異常なのではないか。ヨーロッパ各国でも戦勝記念日があるが、その日だけ祝賀放送が流れておしまいである。
 原爆の遺物を見せたり、戦火の犠牲者やその家族にインタビューして戦争の悲惨さを語らせる。テレビのコメンテーターの締めの言葉が「この語り部たちが戦火を防ぎ,平和を永続させてくれるのです」と言うのには驚く。
 私も昭和20年5月25日、東京最後の大空襲に遭って、妹の手を引きながら、猛火の中を逃げ回った。明朝、自宅の焼け跡に戻って妹と茫然としていると、母と父が別々にやってきた。母は子供を確認して大声で泣いた。父親は顔面にひどい火傷を負っていて、すぐに病院に収容された。この場面は、生きている限り忘れられない。勿論戦争はこりごりだ。
 しかし戦争抑止にはこの記憶だけでは何の役にも立たない。戦争が起きたら逃げろという人がいるが、私が被害に遭ったのは都会の住宅地なのである。そこに住んでいるだけでも、災害は避けられない。語り部たちの言うことは真実に違いないが、語り継ぐだけで、戦争が妨げるとテレビやラジオが言い続けるのは偽善としか言いようがない。
 40年程前、スイスのジュネーブに特派員として駐在したことがある。前任者やパリの特派員に事情を聴いてみると、小学校のいじめがすさまじいという。現地の学校を止めて、日本人学校に通わせればよいと皆が言う。しかし現地の学校に行かなければ、スイスの文化は吸収できない。そこで私が出した結論は小2の息子に徹底的にボクシングを教えることだった。腹に座布団を巻き付けて、息子に思いきり殴らせる。手を伸ばせとか腰を入れろと、毎晩教育した結果、相当の腕前になった。息子に「殴られたら必ず殴り返せ。妹(小1)がやられてもやり返せ。やり返さなければ、学校にいる間中、いじめられるぞ」。およそケンカなどしたことのない息子をその気にさせるのは大変だった。
 ジュネーブの小学校に入ってすぐ、息子は誰かに後ろから羽交い絞めにされ、前から腹を殴られた。とっさに羽交い絞めをふりほどき、面前の敵を殴り倒し、午後になって羽交い絞めした敵を見つけ出して殴った。担任の先生の「お宅の息子さんは今日、2回喧嘩をしました。事情を聴きたい」旨の手紙を持って帰ってきた。20代の若い先生は息子の頭を撫でて「君は正しいことをしました」と言った。いじめもなくなった。
(令和元年9月11日付静岡新聞『論壇』より転載)