「香港デモが台湾に及ぼす独立志向」
―国連再加入を目指すのも一手か―

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会長・政治評論家 屋山太郎

 香港のデモ、暴動は表面的な不満の表現ではなくて、生まれた都市への絶望がこめられている。中国が考える1国2制度の中身は実は本土への吸収に他ならないと香港人は悟ったのだ。ウォール・ストリート・ジャーナルが紹介している世論調査によると2008年の北京五輪に先立つ数年間、香港では「1国2制度」に対する期待感が高まった。中国政府は07年、香港市民が自らの指導者を選ぶ制度の開始を10年後に認めると決めた。この指導方針を歓迎して、五輪時、18~29歳の年代の香港人は「自分は香港人だ」と自覚する人が20%から80%近くまで増えた。一方自分は「中国人だ」と自覚する人は数%まで激減した。こういう傾向の中で「司法長官」は公選どころか、ほとんど指名制。議員として立候補するのも自由ではない。犯罪容疑者を中国本土に連れて来いという要求をのめば香港が中国の一部にされることが目に見えてくる。1国2制度への希望はへし折れた。
 今香港市民は、1国2制度などという曖昧さから決別して、いっそ独立したいという思いだろう。しかし若年層の香港人は何十年も独立運動を続けるより、他国で自由に生き、商売する道を選ぶだろう。習政権は国内に一流の国際金融市場を抱えたい思惑だったろうが、性急に事を運びすぎて希望を壊した。
 中国は台湾とも「1国2制度」の約束をしているが、台湾は香港の舞台を見て、「同じ轍を踏んではならない」と覚悟を決めたようだ。蔡英文総統は初戦の勝利の後、露骨な反中国姿勢を示さなかった。台湾発想の1国2制度を模索していたのだろう。しかし香港の猿芝居を見て独立しかないと気付いた。中国が革命を起こした時、台湾には蒋介石の中華民国が存在し、「大陸反攻」を叫んでいた。しかし国連は大陸全部を押さえた中華人民共和国を中国の後継政権とみなし、多数決で国連の代表権を与えた。国連で中国代表が入れ替わったとはいえ、台湾はかつて日本領土だったこともある。日台の親密な関係は今も崩れてはいない。
 一方、米国は蒋介石と共に連合軍を築いた仲である。代表権が中国大陸に移った数年後の1979年、米国は独自の台湾関係法を作った。米台軍事同盟といっていいだろう。
 ともに海洋国家である日・米にとって、中国が日本列島、台湾の列を破って太平洋に出て覇権を示すことは断固認められない。片や中国は海軍力を強化しつつある。
 安倍首相は「インド太平洋戦略」を説いて豪,印、仏、英を引き入れた。中国封じ込めの仕組みは、中国が動けば動くほど強く締まるものになるだろう。
 米国は18年3月に政府要人が交流できる台湾旅行法を制定した。これを基に台湾の国家安全会議秘書長の李大維がワシントンでボルトン米大統領補佐官(当時)と会談した。台湾の独立指向を強め、国連総会を通じた再加入を目指すのも一手だ。 
(令和元年10月16日付静岡新聞『論壇』より転載)