安倍首相は10月23日に来日した王岐山国家副主席との会談によって、習主席を来春、日本に招待するようである。国賓として招待することになれば、陛下との顔合わせは避けられないが、これが国際情勢に重大な意味を持つことも考えねばならない。
天安門事件が起こったのは89年6月4日である。天安門に集まって自由を求めた青年たちを、自国の戦車がひき殺そうとした。その様相は世界の映像にも流れた。犠牲者は200人とも数千人ともいわれているが、真実は伏されたままである。いまでも「天安門」とか「6月4日」などという言葉を使うと当局の検閲にひっかかって身元を調べられるという。NHKが戦車が青年をひき殺そうとしている場面を流すと、中国映像はその部分だけを消す。この種の言論検閲は拡大してきて日常にまで及んでいる。中国の人口は14億人と言われるが、隠しカメラの台数は22年には27億台に達するとも言われている。国民1人を2台のカメラが見張っている勘定だ。日本での使い道は繁華街の防犯用ぐらいと考えられているが、中国政府は個人の言動、行動を統制するために使っている。
天安門事件のあと、世界における中国の信用はガタ落ちとなった。趙紫陽総書記が民主化に理解を示したが、解任され弾圧派の江沢民に代った。西側世界はこぞって経済制裁を加えた。中国は今でもこの事件の歴史を消し去ろうとしているが、それほどの悪評から中国を立ち直らせたのは宮沢内閣だ。
中国はまず、日本との関係回復に狙いをつけた。最善の策は天皇を中国に迎えることである。平成天皇、皇后両陛下は92年に中国を訪問されたが、これは史上初めてのことだった。これによって中国に注がれていた冷たい国際社会の目が変わり、中国は普通の国として国際舞台に戻った。
天皇訪中について政府、与党内部に強く働きかけたのは、当時の親中派、とくに宮沢派だった。この親中分子はいまだに党内に根強く残っていることを指摘しておきたい。
天安門事件以降、中国はひたすら軍事強化路線をとってきた。そのために他国の知的財産は盗み放題、政府補助金で補強した企業をアメリカをはじめとした先進国に立地した。トランプ大統領が「米国第一」を叫んで中国の儲け主義と盗みに一撃を食わせなければ、中国は目標通りに2049年に世界一の軍事大国、経済大国になっていただろう。
中国大陸で何千年にもわたって引き継がれてきた価値観を「華夷秩序」という。これは自らは「華」で他の人種は「夷(えびす)」、すなわち劣るものという考え方である。国が潰れていてもこの価値観は変わらず、いずれ自分は返り咲き他は滅びるものと信じている。安倍外交は中国人の持つ「華夷」序列の観念を理解したうえで、展開されていると認識してきた。
しかしこのままでは宮沢喜一内閣の轍を踏むことになりかねない。
(令和元年11月6日付静岡新聞『論壇』より転載)