「納得できない習近平国賓来日」

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政策提言委員・元陸自小平学校副校長 矢野義昭

 安倍首相は昨年6月の習近平中国国家主席との会談で、「日中関係は完全に正常な軌道に戻った」と言明し、その上で、「来年の桜の咲く頃に習近平主席を国賓としてお迎えし、日中関係を次の高みに引き上げていきたい」とさらなる関係改善に意欲を示したと報じられている。この方針は現在も変わっていない。
 尖閣周辺での中国の強圧は緩んではいない。いまも十数名の日本人が不当に拘束され、うち9人が有罪判決を受けている。それにもかかわらず、なぜ「日中関係は完全に正常の軌道に戻った」という認識が改められないのか、理解に苦しむ。
 外交交渉のことなので、何らかの交換条件があったことは間違いないであろう。また、対中対決姿勢を明確にしている米国の事前了解を取り付けた上での決断であろう。
 しかしそれでも以下の理由から、今回の決断には納得がいかない。
 そもそも中国は約束を守る国、国家体制ではない。2015年に習近平氏はオバマ米大統領に対し、南シナ海は軍事化をしないと明言した。それにもかかわらず、その後も軍事化を進め、今では3千メートル級の滑走路が3本も整備されるなど、軍事拠点と化している。
 中国は、国際ルールも守らない国である。南シナ海の領有権等に関する中国の主張を、法的根拠がないとして退けた2016年の常設仲裁裁判所の裁定を、戴秉国元国務委員(副首相級)は、「紙屑」と断じている。
 日本側が国賓来日の交換条件として何を要求したのかは、明らかになってはいない。習近平氏は、米中対決、香港での民主派デモ、台湾での蔡英文氏の総統選勝利など、対外的に多くの解決困難な問題を抱えている。
 ここで日本側に譲歩をしたと受け取られるような事実が公になれば、反習近平勢力の抵抗が根強く残る、国内での権力基盤が揺らぎかねない。そのため細部の合意内容は公表されないのかもしれない。それほど重要な内容であることが窺われる。
 交換条件としては、安倍首相の念願である憲法改正を黙認する、米国の意向も踏まえ北朝鮮の核ミサイル開発を抑制させる、拉致問題解決のために中国が北に働きかける、中国はオリンピックへの妨害工作をせず北朝鮮にもさせない、尖閣周辺での挑発を控えるなどが考えられる。
 しかし、約束を守らない独裁体制の国に日本との約束を守らせるに足りる強制力が、今の日本にあるとは思えない。日本は、本来自ら解決すべき拉致問題ですら米大統領に訴えるような国である。
 中国が約束違反をした場合に、何らかの実効性のある懲罰を加える能力も意思も無いのが、残念ながら、日本の実情ではないか。そうであれば、状況が変わればいつでも中国側は約束を反故にできるであろう。
 いま中国は、日本に譲歩姿勢を見せ微笑外交を展開している。その狙いが、トランプ政権が強硬姿勢を見せる中、日本にすり寄り、日本から援助を引き出して圧力を緩和することにあることは、明らかである。
 安倍首相は、「そのような懸念を理解しており」、「言うべきことはきちんと言う」意向だとも報じられている。
 情勢次第では今年中にも中国が、香港の民主派を武力弾圧する、あるいは台湾に武力による威嚇を加えるなどの行動に出ることもありうる。それを理由に、日本政府としては、合意を破棄して国賓来日を拒否するという対応をとることはできよう。
 しかし、それだけで問題は終わらないかもしれない。それを口実にして中国が、尖閣占拠などの強圧行動に出た場合に、日本にエスカレーションを覚悟して実力で対処することは可能なのだろうか?それができないのであれば、もともと安易な合意をすべきではない。
 約束を守らない国、あるいはすぐに実力行使に出る国に対しては、約束破りや実力行使にどう対処するかを常に考慮して、交渉すべきであろう。ソ連による北方領土不法占拠の経緯から見ても、そのことは明らかである。
 米国の事前了解についても、トランプ政権は米国の国益第一主義を唱えており、あくまでも米国の国益に立った上での判断であることを忘れてはならない。
 ペンス副大統領の演説では、トランプ政権は習近平独裁下の中国共産党に対する対決姿勢が明言されている。しかし、昨年の二度目のペンス演説ではトーンはやや下がっている。中国人民には同情的であり、将来の米中の「出会い」への期待で昨年の演説は締めくくられた。
 対中対決色の明らかなトランプ政権ではあるが、貿易戦争の被害は米国内にも及んでいる。大統領選挙を控えて、トランプ大統領としては票田への配慮も必要であろう。対中路線の部分修正もありうる。
 米国としては表向き中国に対し強硬姿勢を示していても、特に経済界を中心に対中融和の道を残しておきたいという要望はあると見られる。この点はおそらく日本の財界も同様であろう。
 日米財界などの要望を踏まえ、安倍政権が習近平氏の国賓来日招請に踏み切り、米中の橋渡し役を買って出たという可能性もある。
 同様のことは、1992年の天皇御訪中の前にも見られた。天安門事件を受け米国始め国際社会は対中制裁を行なった。しかしその裏で米国は中国に密使を派遣し、経済関係維持について協議している。
 その後、天皇訪中がなされた。日本は天安門事件後の孤立から中国を救ったが、表面上は、自国の経済的利益のために人権侵害を許した国として汚名を残すことになった。他方米国は、人権外交の威信を傷つけることなく、対中経済関係を拡大できるようになった。
 今回も同様の展開が予想される。米国は少なくとも表向きは価値観外交を貫くであろう。しかし日本は、習近平氏を国賓として迎え、国際信義を失うことになる。
 特に中国共産党は宣伝工作を得意としている。新帝陛下と習近平主席が握手をする写真は、プロパガンダに徹底的に利用され、香港、台湾、ウィグル、チベットを始めアジアの自由と民主を求めて戦っている人々の、日本に対する失望と侮蔑を招くことになるだろう。
 その度合いは1992年当時の比ではない。なぜなら、自由と民主を求める声は、当時よりもはるかに広く広がり、中国と北朝鮮の共産党独裁体制は既に受け身に立っているからである。共産党独裁体制に未来はない。世界は脱共産主義、グローバリズム超克の時代に入っている。
 今回の国賓来日招請は、このような世界の潮流に反しているだけではない。眼前の経済的利益や外交的思惑に幻惑され、真の国益を顧みず、世界の良識ある人々の日本への信義を裏切る、歴史に残る愚行である。
 米国の国益第一主義は米国として当然のことである。日本も日本の国益を第一に考えて自ら決断し行動しなければならない。日本にとっての第一の国益とは何か?それは当面の経済的利益や外交的思惑などではない。
 日本として世界に誇る価値観、日本の国柄そのものを守り抜くことである。「信なくんば立たず」との言葉通り、最も大事な国益は、固有の誇るべき国柄を守り抜き、国内外の人々から信頼と尊敬を得ることである。昨年の即位礼正殿の儀は、正にそのような場であった。
 新帝陛下が共産党独裁体制のトップと同列とみなされることは、「国際社会の友好と平和」を希望しておられる陛下のお気持ちにも、国民の願いにも、我が国の国柄や掲げてきた価値観にも反することではないか。「自由で開かれたインド太平洋」という理念はどこに行ったのか?
 一度失われた信頼を取り戻すことは容易ではない。問われているのは、政治次元の国益ではなく、我が国固有の価値観と国際信義という、国家のあり方、国体の根本に関わる最も根源的な国益である。安倍政権は、何が最も根源的な国益であるかを見失い、政策判断の方向性が狂ってきているのではないか。
 再考を促すことは、もはや困難であれば、約束された、国賓として受け入れる対価を、いかに確実かつ安全に手中にするかが問われることになる。
 しかし、信頼の置けない、謀略、宣伝を得意とし、実力行使を躊躇しない中国共産党相手では、それすら容易ではない。このことを、よくよく肝に銘じて臨む必要がある。もし失敗すれば、政権の命取りになるであろう。