野党再編に新しい芽が出てきた。民主党が政権を失ってから自民党は安倍一強体制を作り上げた。一方の野党は巻き返す手段として〝全野党〟一致に取り組んできたが、どうやら共産党と一緒では成功しないとの結論に落ち着いたようだ。
戦後の日本政治を大局的に見ると、自公共闘対、社共共闘が主たる流れとなってきた。その後社会党が潰れ、野党は共産党と民主党が崩れて国民、立民などの諸政党の乱立となった。全野党が一緒になって〝反自民〟の政党を作ることができれば、対立の構図は簡単になる。その筋道を何度もたどってきたが、どうやら不可能と出た。
冷戦後の各国共産党を見ると、解散したり、壊滅したりして、新しい政治分布ができている。地域や民族の違いで小さな野党が誕生したところもあるが、連立政権を作るのは容易だ。日本だけ政党作りができないのは何故か。
もめる原因は共産と組めるか組めないかの一点に尽きる。共産党は志位和夫氏が委員長になって20年。その前が書記局長だったから、国民は正直言って志位委員長の顔は見あきている。党勢は志位氏が委員長になった頃は党員38万人、しんぶん赤旗は200万部ほどあった。ところが昨年8月に行われた志位委員長の講演では、「党員が28万人を切り、しんぶん赤旗が100万部を割る」という事態だ。委員長就任以来、志位氏は衆院5回、参院5回計10回の選挙をやっているが、勝ったのは衆、参1回ずつ。それも自民党が野に下ったときのみである。とはいっても共産党は党員を30万人持つから、衆院一選挙で1万人の運動員を持つと自称している。
野党共闘を渋る候補者がいると、党員の票は他に回すとか、共産党の独自候補を立てるといって、候補者に頭を下げさせる。
立候補者の中には昔の民社党系のように「共産党とだけは組みたくない」との信念を持つ者もいる。立憲民主党の枝野幸男代表は共産党に嫌悪感はないから、全野党連合といった発想をすることに抵抗はない。先日「価値観で折り合えない」と言って山尾志桜里衆院議員が離党した。山尾氏は憲法問題を「国会で議論するのは当たり前」との普通の意見の持ち主である。
19年に行われた参院選のうち、合区になった島根・鳥取、徳島・高知の3地区を見てみる。この3区では3年前、16年の参院選でも共産系候補が立った。いずれも共産党系が負けたが、差が大きくなって敗けている。言い替えると共産党の人気が一段と下がっているということだ。
共産党が敬遠されているとみたのか、各野党は12月「内閣不信任案」を出すかどうかを巡る国対委員長会議の際、なんと志位委員長の自発的退席を求めたのだ。一方で山尾氏の勉強会に玉木氏とれいわの山本太郎代表が出席した。三氏は憲法改正や審議拒否はしない点で共通項がある。面白い動きが出てきた。
(令和2年4月8日付静岡新聞『論壇』より転載)