新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言が発令されたのを機に突如、「9月入学問題」が浮上してきた。2ヵ月も学校を休んだら取り返しがつかない。いっそ入学を9月に延ばして学業不足分を取り返すべきだとの考え方だ。米国や西欧諸国の入学時期は大体9月と決まっており、日本の高校を卒業してから留学先の大学入学の9月まで約半年、待たなければならない。その半年間が外国語を学ぶのによいブランクだと主張する人たちがいるが、その半年間の国内での勉強は、現地に行けば6日分程度の学習にしかならない。現地での1日分の学習は日本での1ヵ月分に相当するほど役に立つ。高校留学のケースでも3年生の1年間勉強したいと4月に留学するとなんと、9月には卒業、つまり半年で卒業証書を貰ってしまう。
この9月入学問題は中曽根内閣が1985年に臨時教育審議会を設けた際に取り上げられた。会長は岡本道雄・京大総長だったが、国立大学の総長が文部省(現文科省)の思惑から離れて改革案を出せるわけがなかった。第1部会から第4部会で争ったのは教育の自由化、国際化の2つに集約される。私も第2部会に参加したが、国際化というより9月入学問題だけでも結論が出ない。そこで「国際化部会」という特別部会を設置した。大勢は9月入学に決まったが、東大教授の石井威望特別部会長に文科省が、ハンコを押させなかった。要するに国立大学教授は全員が文科省に人事権を握られていて弱いのだ。
優秀な生徒や教授たちは日米の間を行ったり来たりしているが、間に常に半年の遊びができる。反対論の中で高校の代表が、大真面目で「『9月入学』にしたら伝統ある甲子園の野球の歴史が潰れる」と言ったのには驚いた。
制度改革というものはまず大筋が決まれば、細部は専門家が決める。森田健作千葉県知事は「2ヵ月の不足分を取り返すために制度を変えるのは無理。9月入学は来年決めることにしてもらいたい」と言う。廃藩置県は二百何十人の大名がたった1週間で領地を献上し、近代国家に生まれ変わったのである。国家の意志を決めさえすれば、9月入学を準備するのは1ヵ月あれば十分だ。
文科省があらゆる改革を阻止しているのは、現体制で天下り先も自由自在に確保できるからに他ならない。教育システムのことなど考えていないのだ。改革への障害は文科省の役人が大学の事務局長や教授に天下る利権をあきらめることだけだ。役人が天下るのに天下り先の学校から「割愛届」を出させて「行ってやる」と恩着せがましく振る舞う。文科省にとっての問題は、4年間のつもりで雇った教授に4年半分の給与を払うということだ。私立大学、公立大学の学生にも半年分、余分に払ってもらうことになるが、当時その金額は約1兆円と言われた。
政府はいま、大企業が中国に工場を立地し続けたのを後悔している。トヨタのような国際性豊かな会社が中国に最高度の研究所を作った。国際感覚のない証拠ではないか。日本は人材から作り直す必要がある。
(令和2年5月6日付静岡新聞『論壇』より転載)