香港に国家安全法を適用
新型コロナウィルスの惨禍で世界が混乱する最中の2020年5月28日、中国で「中国共産党第13期全国人民代表大会」が開かれ、「中華人民共和国 国家安全法」を香港特別行政区にも適用することを決定した。この決定に対して、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアが4カ国共同で批判する声明を発表するなど、世界中に波紋が広がっている。
香港は、イギリスから中華人民共和国に返還された1997年、中華人民共和国政府が「香港返還後50年間政治体制を変更しない」ことを確約した。それにより、特別行政区が設置され、香港特別行政区基本法の下、高度な自治権を有することとなり、「一国二制度」が確立された。今回、香港に国家安全法が適用されれば、中国とイギリスが交わした「中英連合声明」に基づく「香港の一国二制度」という国家間の取り決めを崩すことになり、国際的にも大きな問題となる。
もともと中国には、1993年に制定された国家安全法があったが、国際環境の変化に対応するとして、2015年7月1日に新たに「中華人民共和国 国家安全法」が施行された。ただし、香港とマカオは一国二制度の下、特別区となっていたため、この安全法は適応外だった。この安全法によると、「国の治安維持のために、安全を脅かす活動や言動を防止、抑圧する」とある。この法律の問題点は、実際に安全を脅かす活動や言動を行っていなくても、その可能性があると権力側が判断すれば拘束できるという点にある。いわゆる予防拘禁的対応が可能だ(日本では禁止されている)。もう一つの問題点は、ネット上での活動も処罰の対象となるなど広範囲に言論統制ができることである。
香港の民主化デモ
そもそも香港では、基本法によって、行政長官および立法機関である立法会の選出方法は、最終的に直接選挙に移行すると規定されており、2007年と2008年に行政長官・立法会を直接選挙で選出することが可能なはずだった。しかし、当時、不人気だった董建華行政長官が2002年に再選されたことや2003年のSARSに対する対応の不手際、国家治安条例の制定の強行などが原因となり、ついに辞任要求デモ(50万人参加)が2003年7月1日に行われた。これに危機感を持った中国政府は、2004年3月の全国人民代表大会常務委員会において、2007年と2008年の普通直接選挙への移行を否定した。
2017年には、香港特別行政区行政長官選挙において1人1票の「普通選挙」が導入される予定だったが、2014年8月31日、全国人民代表大会常務委員会は、中国政府の意に沿わない人物の立候補を事実上排除する方針を決定した。そのため、香港の民主化団体は、「雨傘運動」といわれる中国政府に抗議する大規模なデモ活動を行った。
2019年からは、「2019年~2020年香港民主化デモ」といわれる一連の民主化要求デモが継続的に行われている。このデモでは「逃亡犯条例改正案の完全撤回」「普通選挙の実現」「独立調査委員会の設置」「デモ参加者の逮捕取り下げ」「民主化デモを暴動とした認定の取り下げ」という五つの目標「五大要求」の達成を目的としており、この「五大要求」の一つである「逃亡犯条例改正案の完全撤回」は既に達成されたが、民主派は完全撤回されていないとして抗議活動を継続した。
国家安全法の影響
中国政府が香港に対して国家安全法を適用する背景には、2019年の逃亡犯条例改正失敗や香港の区議会議員選挙での大敗がある。今年9月には、立法会議員選挙が予定されており、ここで再度民主派が過半数を占めれば、中国政府は完全に香港の支配権を失ってしまう。現在、中国政府は、立法会議員選挙に向けて、引き締め策を次々と打ち出しており、4月には、立法会で「中国の国歌に対する侮辱行為を犯罪とする国歌条例案」を可決した。この条例案に対しては、民主派の議員や活動家が香港に国家安全法を制定する動きの一環と見て反対していた。さらに6月4日の天安門事件追悼集会に対しては、香港行政区政府が新型コロナウィルスを口実に初めて集会を禁止したが、それにもかかわらず数千人が追悼に集まった。
中国の国家体制は、政治は中国共産党一党独裁、経済は資本主義という「いびつな構造」で、一部の経済学者からは「キメラ」と揶揄されている。こうした矛盾する体制を維持するためには、国民が抱くあらゆる反共思想や言論・集会・結社の自由などの民主主義的思想を抑圧しなければならない。経済成長が著しい時代は、改革開放政策による経済成長という夢を国民に見せることができたが、経済成長が鈍化してくれば、それまでに蓄積されたあらゆる不満が噴出してくる。こうした状況の中で香港の問題は何としても抑え込まなければならない重要な課題となった。
これまで香港は自由で開かれた世界として、トップクラスの金融市場であり続けたが、それも一国二制度あってのことである。中国政府が香港に国家安全法を適用すれば、今後、莫大な資金と優秀な人員が海外に流出することになる。私は、香港をめぐる中国政府の強硬な態度は、国家体制の矛盾に対する中国共産党の焦りの証ではないかと受け止めている。