6月15日に河野太郎防衛大臣がイージス・アショアの配備停止を表明して以降、イージス・アショアの配備停止への対応策について、政府や自民党などで活発な議論が行われている。その中で、「敵基地攻撃能力」の名称変更が議論に上がった。これは、保有に慎重な公明党の支持を得るために、より理解を得やすい言葉が良いということから検討されているものだ。
実は、防衛問題は、このような造語の連続であった。専守防衛、攻撃型空母など、時の政府や防衛当局者達は、憲法や現行法体系に即し、国民の支持を得るために様々な用語を作ってきた。しかし、これは本当に意味があるのだろうか。
政府の作る造語は国会答弁や官僚の説明、そして研究者の間では通用するかもしれない。しかし、一般の国民や諸外国からすると、理解出来ない。例えば、攻撃型空母という言葉について、相手国の破壊の為に使われる兵器というのが政府の見解だが、攻撃型空母でない空母は保有出来るという政府の見解に対して、空母であり、戦闘機やヘリコプターを載せている以上、攻撃目的にも用いられると揚げ足を取ることも出来よう。実際、国会では、この言葉を巡って、与野党が論戦を繰り広げている。そして、この論戦の結果、用語の定義がより精緻化されていく。言い換えれば、より狭い解釈が行われてきたのである。
今回の敵基地攻撃能力についても既にその定義がされている。敵基地攻撃能力について、政府は1956年2月29日に衆議院内閣委員会で船田中防衛庁長官が代読した、鳩山一郎首相の答弁を根拠として、専守防衛下でも保有出来るとの見解を示している。
この時の答弁では、「わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います。」としている。
この鳩山首相の答弁を元にして、日本政府は敵基地攻撃能力の保有は可能であるとの見解に立っている。この答弁以降、敵基地攻撃能力が具体的に議論の俎上に上ったのは、冷戦終結後のことである。
冷戦終結後、北朝鮮がノドンやテポドンといった弾道ミサイルの実験を繰り返し、その脅威が明らかとなった。そうした中で、日本政府は、2003年12月10日に当時の小泉純一郎内閣総理大臣が、「日本版弾道ミサイル防衛(BMD)」のシステム導入を決定した。
以降、日本では、パトリオットミサイルPAC3やスタンダード・ミサイル3(SM3)といった迎撃ミサイルを導入した。現在、議論となっているイージス・アショアもこのミサイル防衛の一環である。
ミサイル防衛の導入が進む一方で、弾道ミサイルに対して、迎撃するだけで十分なのかという議論も起こった。そこで、敵基地攻撃能力が議論の俎上に上がったのである。日本政府は、鳩山首相の答弁を踏襲しつつ、どのような場合ならば可能なのかということがより具体的に議論された。
1999年2月9日衆議院安全保障委員会において、野呂田防衛庁長官は、1956年の答弁を踏襲し、「昭和31年の政府統一見解に設定したような事例で、他に手段がない場合に、敵基地を直接攻撃するための必要最小限度の能力を保持することも法理上は許されるものと考えます。」として、現実に被害が発生していない時点でも、自衛権を発動し、敵基地を攻撃することは法理的に可能」としている。そして、2003年に石破茂防衛庁長官は、「燃料を注入し始め、不可逆的になった場合は一種の着手」であるとして、法理上敵基地を攻撃することは可能であるとの答弁をしている。2014年7月1日に第2次安倍内閣は、日本が武力行使を発動する際に満たすべき要件として、①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、を定めた。
これまでの議論をまとめると、敵基地攻撃能力の保有は専守防衛下でも可能であり、相手が攻撃に着手した段階であれば、法理上攻撃が可能というのが日本政府の公式見解である。既に数十年に渡って精緻な法解釈が行われている。ここで新たな言葉を作り、さらに定義づける必要があるだろうか。政治情勢に合わせて、新たな言葉を作るよりも、今ある解釈で進める方が日本の安全に資すると言えよう。