「お役所仕事」と言えば、「のろい」「遅い」の代名詞のように使われたものだが、最近の役所仕事は昔に比べれば素早くなった。40年位前にジュネーブのWTO(当時はGATTと言った)の貿易交渉を取材していた頃、各国の通商代表が集まって最終会合だというのに日本から通産大臣(現経産大臣)が参加できないと言う。引っ掛かっていたのは農水省が担当していた球根の関税だ。そんなものは大臣の一存で決めたらどうかと思っていたが、農水省の担当課長、局長、次官の承認が必要なのだと言う。その承認案件が事務次官会議で決定されて初めて閣議の決定になる。
こういうシステムを簡素化しようと80年代に“土光臨調”(第2次行政改革調査会)が開かれた。土光臨調で有名なのは国鉄の分割・民営化だが、官営から民営にしただけで2兆円の赤字が消えた。これに勢いを得て一斉に行政改革が始まった。民主党内閣時代も行われた。事務次官会議の廃止をきっかけに“お役所仕事”の質が変わってきた。車検などという自動車の検査はポンコツ時代の遺物のようなものだ。何十項目という検査項目を必須とすると各家庭は10万円ほどの出費になる。これを自分で調整して検査を受けてもよいことにしたところ、国民負担は何兆円も減った。
車検などの規制を外したり、緩和すれば国民が楽になるのはわかっているのだが、暴利を貪る業界があり、そこに天下る役人がいる限りは悪いとわかっていても何十年も是正できない。
仕事をやる気の大臣が着任して、いくら善政を施そうとしても役所も業界も動かず、政治家の信用は失墜するだけだった。
しかし第1次安倍内閣になる頃から、役所の動きは機敏になった。最近、「一億総活躍社会」という政策がまとめられた。これが1年足らずでまとめられたのは、昔の官僚社会を知る者にとっては驚異だ。
ここ何十年「政治主導」という言葉が使われてきたが、内閣が1年しか続かないと見るとお役人は仕事をサボって問題をやり過ごす。馬鹿正直に政策を追求すると省内の各局と摩擦を起こして誰からも評価されない。
動かない官僚体制を根底から覆した決め手は今年3月に「内閣人事局」が設置されたことだ。局長は政治家自身の内閣官房副長官が当たるが、各省の幹部人事を決めるのは、現安倍内閣では首相、官房長官と担当大臣も加わる。法律上は各省審議官以上の670人の幹部人事を扱う。「局あって省なし」とか「省あって国なし」という幹部が横行していた官界はこの制度の導入で様変わりした。
安倍内閣では昭和54年入省の財務官僚が3代続けて次官になった。外務省では岸田文雄外相が外務審議官に総合政策局長を抜擢した。5年飛び人事と言われる。農水省では農業改革に熱心な経営局長が水産庁長官を飛び越えて事務次官になった。女性の抜擢人事も多くなった。「省より国」を考える布陣ができることになった。
(平成28年6月22日付静岡新聞『論壇』より転載)