選挙が近いと見たのか野党の一本化作業が進められている。議員は選挙に勝ちたい一心だが、日本に限って野党には愛国心が感じられない。先日、河野太郎防衛相がイージス・アショアの代わりの武器の開発を決めた。これについて記者会見で東京新聞の記者が「中国や韓国の理解が得られる状況ではないのではないか」と質問した。河野氏は「中国がミサイルを増強している時に、なぜその了解がいるのか」とピシャリ。「韓国はどうか」と重ねて聞く記者に「なんで韓国の了解が必要なんですか?」と色をなしてマスクを外す一幕があった。この怒りが新鮮に聞こえるのは、日本の立場を敢然と示しているからだ。野党議員は常に外国の立場でものを言ってきた。質問した記者も同じ精神である。
88年、奥野誠亮国土庁長官が「東京裁判は勝者が敗者に加えた懲罰だ」と述べて辞職を余儀なくされた。これは一面の真理ではないのか。86年中曽根内閣時代にも、藤尾正行文相が日韓併合について「韓国側にもいくらか考えるべき点はあると思う」と述べた。現在の日韓関係は併合の時代以前とそっくり。韓国の言い分や考え方を見れば、韓国にも考えるべき点が存在したのは疑いないだろう。ところが藤尾氏が辞職を拒んだので、中曽根氏は罷免せざるを得なかった。
94年には桜井新環境大臣が「侵略戦争をやろうと思って戦ったのではない」と述べて辞任。同年には長野茂門法相が「南京事件はでっち上げだと思う」で辞任。95年に島村宣伸文相が「侵略戦争かどうかは考え方の問題」と述べて発言を撤回。同年、江藤隆美総務庁長官が「植民地時代に、日本は韓国にいいこともした」と述べて辞任。実際、人口は日本統治下、併合前の2倍に増えている。
体制側は何でも謝ってことを済まそうとの態度だ。こういう卑屈な態度になったのは野党の反撃をいなすためだ。
野党に共通しているのは愛国心の薄さだ。何でもかんでもケチをつける精神がこびりついている。こうなった原因はかつて共産党が幅を利かせていたからだろう。年中「社共共闘」が行われていたが、社会党議員は思想的に共産党になり切れないコンプレックスを抱いていた。従って路線は共産党に近付き、過激になる。責める手口も冷酷になる。戦争をどう見るかは個人の自由だが、攻める側は東京裁判史観で見る。先に挙げた大臣辞任の例はすべて東京裁判史観によって裁かれている。「言論の自由」の範囲内で収まるはずだ。
共産党はソ連、中国、社会党は中国の立場でものを判断する。最近共産党は中国批判をしているが、中国と「一歩離れたよ」といった程度のアリバイ作りだろう。国民民主と立憲が実質、合併しようとしているが、後ろに共産党が控えている構図で合併しても、これまでの繰り返しに終わるだろう。健全な野党が育つためにはまず脱共産党、補うべきは若干の保守思想と愛国心だ。
(令和2年8月26日付静岡新聞『論壇』より転載)