「日本学術会議」の新会員を巡り、6人を菅首相が除外した問題が「学問の自由」を危うくしていると朝日新聞が書いている。外された人材は、憲法学、行政法学、刑事法学などの分野ですでに名を成した人物である。仮に日本学術会議に入らなくとも自らが成してきた実績が貶められることはあるまい。
菅首相にどのような事情があるにせよ、最初から憲法改正に反対を称えている人物をメンバーにして議論する気にならないだろう。新たにどのようなアプローチをすれば改正に役立つかどうか知りたいに違いない。国民の6割前後が憲法改正に賛成だという。笹川洋平氏は産経新聞の「正論」欄に「改正」というから大げさに聞こえるので「修正」と言った方が分かり易いといっている。菅内閣も世論も、恐る恐る憲法修正の方向を向いている。その場に当たって「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼びかけ人の1人、宇野重規東大教授(政治思想史)をメンバーに加えれば「改憲」などもってのほかになるだろう。
1980年代の学術会議はまるで共産党の運動体だった。定員数は同じ210人。これを30委員会に振り分けるから一委員会7人ずつである。会員は学会に加わっている人の選挙。この中で常に選ばれる人物に福島要一という人物がいた。彼は第5部(原子力関連の委員会)に属していたが他の6人は福島の能弁に誰も反論できなかった。その様を見て桑原武夫氏(京都大フランス文学)がある雑誌に「3人で210人を支配する方法」という皮肉な随筆を書いた。桑原氏によるとこの委員会は最初7人全員が参加していたが、福島氏が一日中喋っているから嫌気がさして、次回は3人になる。結局福島氏に2人は説得されて部会一致の採決をしてしまう。学術会議は50年と67年には「戦争に関わる学問には協力しない」と宣言した。一連の運動は共産党の行動方針そのもので、改善策として人選のやり方を全く変えることにした。福島要一氏は農水省の出身で、共産党系学者に号令して毎回、当選してきた。この農業経済学者が日本の原発政策を主導したのである。加藤寛氏(慶大教授)の提案で投票は学会員たちだけにし、会員を選出する方法に改めた。
今回、もれた人達を見ると芦名定道京大教授(宗教学)は「安全保障関連法に反対する学者の会」に所属している。これでは菅首相の思惑とは全く違う。日本の場合、政府が会合や懇談会を作れば、「人事を公平にやれ」と注文するが、諮問委員会などで運動屋が会をリードすることは許されない。その道の専門家はすでに吹聴した自説を曲げて妥協などしない。いま菅首相が欲していることは憲法修正の道筋をつけるとか、産業界と防衛省が一体となって軍事問題に取りかかれと言った提言だろう。中国でも米国でも軍装備は官民合同でやっている。受け入れられなかった人達が「理由は全く分からない」と言っているのは余程のぼんくらではないか。
(令和2年10月7日付静岡新聞『論壇』より転載)