BREXITにリーダーの資質を思う

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JFSS顧問・元アメリカ合衆国駐箚特命全権大使 藤崎一郎

EU離脱について英国民の審判は下ったが、狂想曲が続いている。当方、株にも債券にも縁のない元公務員。個人的には、株価も円価もさして気にならない。
 思うのはリーダーというもののあり方である。国の指導者に求められる資質を二つだけ挙げよ、と言われたらどうする。
 舛添前東京都知事問題から想起する身綺麗さ、品格か。違う。舛添さんを弁護するつもりは、毛頭ない。公の地位にある者は申し開きができない収入を得たり、支出をしたりしてはならない。しかしこれは最低条件にすぎないし、リーダーの本質ではない。
 身綺麗さは、必要条件だが決して十分な条件ではない。私はリーダーが土光さんのように小さな家で目刺しを食べてくれなくてもいい。トランプ氏のように資産を振りかざすのには辟易する。でも決して土光氏のことではないが、金持ちがことさらに質素さを見せびらかすのは鼻につく。
 また吉田茂元総理のように、英国紳士ばりに葉巻をくわえ鼻眼鏡をかけ、白足袋を履いてもいっこうに構わない。いい年をして外国人の真似をして恥ずかしいな、相手の国の人がどう思うだろうか、とは感ずるが、それだけである。吉田元総理の側近の白州次郎氏の英国趣味についても、稚気満々だなあと思うだけである。別に感心はしないが、そんなことは枝葉末節の話だ。
 私はリーダーに求められるものは、先を見通す力と決断する勇気の二つだと思う。敷衍する。
 かつて外務省の先輩故岡崎久彦氏は、われわれ後輩たちに過去30年間の歴史を頭に入れろ、と言っていた。これを聞いたのがもう30年前だから、まあ戦後史を知っておけよ、というほどの意味だったろう。卓見と思う。私はいま学生たちにもう少し長く100年間と言っている。つまり鎌倉も江戸もエジプト、ギリシャ、ローマ帝国、ハプスブルグも唐も元も、どの国の古い時代の話も面白いし、高校、大学入試までは大事だった。でもいま若い人に知ってほしいのはこの100年間だと言っている。つまり第一次大戦後から今までである。この期間を知らないで今の世の中を理解することはできない。ナチがどのように起こり席捲し消滅したか。ソ連がどのように出来て、世界を二分する勢力となってから分裂したか。中国がどのようにでき発展したか。これらを知らないで今のアジアも欧州も語れない。日本が軍事国家の道を進み、大東亜戦争に突入したかという過去を知らずして、日中、日韓関係を語るべきではない。戦後70年談話でも安倍総理は、有名になった「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」に続けて、「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わねばなりません。謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」と明言している。こういう場合、どちらが主節かは、文法のイロハだろう。
 しかし政治的むずかしさを伴うためか、この期間については、入試ではあまり扱われず、従って高校生はあまり勉強しないと聞く。だからサラリーマンになってから急に司馬史観とやらに染まる。あとは半藤一利や児島穣などが実際上の教科書である。もうすこしきちんと入試に取り上げていき、また、大学の一般教養で必須科目とすることが望まれる。
 この百年間の歴史を見ると、われわれは第二次大戦までは、いかにリーダーに恵まれず、大戦後は恵まれたかがわかる。近衛文麿、広田弘毅など政治家、文官出身者も東條英機、米内光政など陸海軍出身の軍人も、結局は時流に流された。米内はともかく、たいていのリーダーは皆秀才だった。しかし、これらのリーダーの誰も、職や身命を賭してまで時流に抗しなかった。
 作家の城山三郎は、『落日燃ゆ』(新潮社)で広田を軍部に抗したのに最後まで一言も弁解せず、文官でただ一人従容として死刑になる英雄として描く。しかし、彼が職を賭して軍部に抗したという事実はない。吉田茂の場合、彼が公然と親英米、反ドイツ、軍部批判の立場をとったため陸軍ににらまれて外相になれず、それどころか憲兵隊につけまわされたのは有名な話だ。他方、吉田と外務省同期の広田は、外務大臣から総理大臣まで栄進する。横暴を極めた当時の陸軍が、本当に自分達に都合の悪い人物をこのように用いるはずがないのは自明ではないか。外務省で彼の九年後輩の石射猪太郎の自伝『外交官の一生』(中公文庫)は、上に行くに従いものを言わなくなる広田を鮮やかに描いている。服部龍二著『広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像』(中公新書)は、城山の上掲書は歴史小説であると断じ、資料をもとにまったく違った広田像を浮かび上がらせている。『落日燃ゆ』を読んで外交官を志望しましたという青年に会うことがある。外交官志望はいいが、一冊の本だけ読んで人を判断しない方がいいよ、と言っている。
 陸軍と異なり良識派だった海軍も責任ある対応したとは言えない。阿川弘之は名著『井上成美』(新潮社)の中で昭和6年ごろ、東郷元帥が「軍令部は毎年、年度作戦計画を陛下に奉っておるではないか。今さら対米戦が出来ぬというのでは、陛下に嘘を申し上げたことになる。東郷も亦、毎年この計画に対し、よろしいと奏上しているのが嘘になる。そんなことが言えるか。」と喝破したという。米英戦争につながりかねないとして満州事変に反対した現役のトップ谷口軍令部長を叱咤した際の台詞という。また同書によれば、井上は戦後、山本五十六についても次のように述べた由である。
 「山本さんとしては連合艦隊の司令長官が対米戦争をやったら日本の負けと考えていることを、部下に知られると困る。具合が悪いですよ、そりゃあ。連日連夜猛訓練中の艦隊の士気が一ぺんに沮喪してしまう。だからさぞ言いにくかったし言いたくなかったろうと察するけれど、それを押して、艦隊将兵4万への気兼ねも捨てて、敢えてはっきり言うべきでした。事は国家百年の運命が決するかもしれない場合なんです。それでなくとも責任感の薄い、優柔不断の近衛公に、半年や1年ならたっぷり暴れて見せるというような曖昧な表現をすれば、素人は判断を誤るんです。総理、あなた三国同盟なんか結んでどうする気か、あなたが心配している通りアメリカと戦争になりますよ、なれば負けですよ、やってくれと頼まれても、自分には戦う自信がありません。対米戦の戦えないものに連合艦隊司令長官の資格無しと言われるなら、自分は辞任するから、後任に誰か自信のある長官を探してもらいたいと、強くそう言うべきでした。かねがね私は、山本さんに全幅の信頼を寄せていたんだが、あの一点は黒星です。山本さんのために惜しみます」。
 すなわち山本が職を賭さなかったことを惜しむと言っている。もっともその井上にしたところが、海軍次官を経て大将まで上り詰めており、真の意味では職を賭したわけではない。
 空気を読むことに長けた昭和のはじめの指導者達の多くは、公に物言わないまま、時流に流されていった。明治の元勲から高橋是清、犬養毅、宇垣一成あたりまでは肝が据わったリーダーがいたといえよう。しかし、暗殺事件などが起こってくると高位高官の地位にあった西園寺公望、木戸幸一、近衛文麿ら公家出身者は、軍部と決定的に対立しなかった。先見性を持たず、決断をしないリーダー達のもと日本は悲惨な戦争に突入し、惨敗する。
 英国のチャーチル、フランスのドゴールなどは国内の反対派に体を張って抗して流れに棹差したし、チエコのドプチェク、ポーランドのワレサ、米国のリンカーン、南アのマンデラ、ミャンマーのアウン・サン・スー・チーらはわが身の危険を顧みず、政治的信条を貫いた。国民の多くに先駆けて時代を読む、そして内外の敵百万と雖もわれ行かんというその勇気こそが、リーダーたる真の資格ではないか。彼らは揶揄され、迫害されたが、ひるまず初志を貫いた。
 戦後はどうか。この間の指導者群像は、瞠目すべきである。吉田のサンフランシスコ条約、安保条約、鳩山の日ソ国交回復、岸の安保改定、池田の所得倍増、佐藤の日韓条約、沖縄返還、田中・福田の日中国交回復など今に残る枠組みをしっかりつくってくれた。いずれも簡単ではなかった。いわゆる世論に抗していた。
 サンフランシスコ条約のときソ連が参加しないというだけで「単独講和」ではないかと新聞は書き立てた。反対を唱える南原繁東大総長を吉田は曲学阿世の徒と呼び押し切った。そしてサンフランシスコでは伴も連れず一人で安保条約に署名した。鳩山の日ソ国交回復は自民党内部の強い反対にあったが曲げなかった。岸は日米安保改定反対の大デモを押し切り、自身は暴漢にも刺された。池田の所得倍増も大風呂敷と笑われた。
 佐藤の核抜き本土並み沖縄返還もとうてい無理と当初外務官僚に言われるが、貫く。ノーベル平和賞までもらったが、新聞各紙は、同氏に徹底して批判的だった。田中・福田の日中国交回復、平和条約も自民党内の反対を押し切った。
 それぞれ長所短所があった政治家だが、見通しの良さ、タイミングのいい決断と勇気については評価すべきであろう。我々は、これら先達のおかげで、今の平和と繁栄を享受している。当時の世論、新聞の社説のすすめどおりにしていれば、いまだに新安保もなく、沖縄返還もなく、ただ皆でえんえんと議論を続けていたのではないか。さらにいえば60年安保を見、70年安保の時代を体験した私の世代は、学生時代は学園の大勢に従ってデモに参加し、卒業と同時に大企業などに就職して、今度は社会の大勢に従順な子羊となり、年を経て「若いときは暴れたもんだ」などと述懐してみせる輩をたくさん見てきている。大勢につくという安易な道を選ばない者だけが指導者の資格を有している。
 では最近はどうか。沖縄と安保法制の二つを見てみよう。
 沖縄については、論理的には5つの選択肢がある。一は、普天間をこのまま放置することである。二は、嘉手納統合である。三は、県外移転である。四は、代替基地を設けず単に普天間廃止をする案である。五は辺野古移設である。得失を見てみよう。
 一については、ヘリ基地が人家に囲まれており、2003年に視察したラムズフェルド元国防長官が世界で最も危険な基地と呼んだ。その1年後、幸い人身事故に至らなかったが沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した。もし大きな事故が起きたら安保体制そのものを揺るがせることになる。危険性除去が急務とされるゆえんであり、このオプションはない。
 二は、嘉手納を管理する空軍が受け入れないとの議論もあったが、より本質的には一基地に集中させてしまうため、抗堪性が減少するし、嘉手納基地周辺住民の納得を得るのが困難と考えられたのだと考える。
 三については、鳩山由紀夫内閣が、いろいろ試したが受け入れる県はなかったのは記憶に新しい。国内をまとめられないのに尻を米国に持ち込む形になり反発を買った。
 四については、中国が領海、接続水域に入り、北朝鮮がミサイルで挑発を続けている中で誤ったメッセージを送ってしまうことになる惧れが大である。
 そうであれば美しい辺野古を埋め立てるのは忍びないが、ギリギリ五の移設案しかないことになる。決して埋め立てが望ましいというわけではないが、やむをえない選択肢ではないか。その意味で現在、内閣が沖縄県知事を説得しようという立場をとっているのは当然だろう。一部識者は判官びいきもあって知事との妥協を勧めるが、代替案は出てこない。もちろん空軍や海軍の活用により普天間の抑止力をどこまで代替できるかなどは常に課題として日米間で考えていくべきだろう。
 沖縄県民の負担感は、当然だ。その上、言語道断の事件事故が続いてはたまらない。規律強化は当然だが、年齢、男女比など兵員の構成など根本的な問題も考えるべきだろう。地位協定についても初めに改定ありきではないが、不十分な点がないか見て、どのようにすればこれを補えるかは日米間で真摯に議論すべきだろう。
 この関連で地位協定の運用改善について一言する。通例、地位協定のもとの日米合同委員会で日米政府の代表が議論して合意文書を作り、いわば地位協定の解釈ノート、付属文書というものを作るのが運用改善なのである。つまりきちんとしたプロセスなのである。
 しかし運用改善という言葉自体に軽い響きがある。なにかハンドルを軽く右に切ったり左に切ったりする程度の語感がないだろうか。これが県民の方のいつも運用改善とだけ言ってきちんとしたことをしないではないか、地位協定自体を見直すべきではないかという議論につながっている感がある。
 安保法制について見てみよう。これについても4つの選択肢があったろう。一は、これまでどおりにして変更しないことである。二は、集団的自衛権をいわば全面解禁して日本も米国が攻撃された場合には常に米国防衛できる形にすることである。三は、部分的解禁であり、特別な場合のみ集団的自衛権を発動できる形とすることである。四はこれまでの専守防衛から離れ、日米分担を見直し日本も攻撃的兵器を持てるようにする、いわば自主防衛への道である。
 一は、これでいければいいが、もはや持たなくなると見ざるをえないと考えるべきだろう。現に共和党候補になったトランプ氏は日本の安保ただ乗り論に言及している。二は、国民がここまで大きな変化を望んでいるとは思われないことだ。三は、憲法の解釈変更で行うのには厳し過ぎると思われる。ここまでするなら憲法改正で国民の意見を聞くべきだろう。さらに米国の核の傘の信頼性が揺らいでくれば、別な話かもしれないが、国民の間にまだそういう認識はない。さらば結局三の選択肢しかないではないか。日本の安全に根本的な影響がある場合という形にしたが、いずれにせよ限定的な形だ。これを衆参で与党が過半数を持っている段階で行ったのはやはり英断だろう。
 安倍総理の政策については当然毀誉褒貶がある。民主的国家では当たり前である。今度の選挙ではその政策の認否が問われる。原発、安保法制、アベノミクスなどについて包括的な判断が行われる。それが選挙の役目であろう。選んだ政権に政策を実施させる、それがよくないと判断すれば次の選挙で交代させる。信を受けている期間、政権は国民の一々の政策について判断は求めない。それが間接民主主義の本来のシステムである。
 沖縄県で県民投票を行ったり、原発や安保法制などについて国民投票に付すようなことをせず、批判は浴びながらも自ら決断してきた総理、政府を持ったことは我々は幸福だったと思う。こんなことは、これまで当たり前だったと思ってきたが、今の英国を見るとそうでもないことが分かる。
 英国では、2014年もスコットランドで住民投票を行って、からくも残留を勝ち得た。女王の最後の働きかけが奏功したといわれる。そして今年は、EU離脱の国民投票である。首相自ら判断せず再び国民に丸投げした。英国保守党内のEU反対派を押さえるためにこの国民投票を行ったといわれる。なぜこんなことをせずに主張を貫くか、引き摺り下ろされるなり自発的に党首交代しなかったか。別に結果を見て言っているのではない。リーダーというものはそういうものだと思うからである。
 一人の指導者のお陰で英国だけでなくヨーロッパ、世界全体が巻き込まれ揺らいでいる。望むらくは、これを他山の石として、これから他の国の指導者が、この国民投票という安易な選択に逃げず、しっかり自分を選んでくれた国民のために決断をしていくことである。


藤崎一郎(ふじさき いちろう)

1947年、神奈川県生れ。慶應義塾大学経済学部中退。1969年外務省入省。1999年外務省北米局局長、2002年外務省外務審議官(経済担当)、2005年在ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使、2008年アメリカ合衆国駐箚特命全権大使などを歴任。2013年上智大学の特別招聘教授に就任、国際戦略顧問として活動。同年、日米協会の会長に就任。現在、JFSS顧問、(公財)世界平和研究所(IIPS)の副理事長、(一社)世界貿易センター東京副会長、(公財)日本国際フォーラム参与。