1989年6月4日に北京で発生した天安門事件をめぐる外交文書が公開された。同年の11月にはアジア太平洋経済協力会議(APEC)発足をめぐり、日本の外務省と通産省(現経済産業省)が主導権争いしていた事実もわかった。APEC創設に熱心だった通産省に対し、外務省は中国の参加については、中国の国内情勢を慎重に見極めつつ検討する必要がある、と主張した。要するに経済を取るか、人心弾圧を糾弾するかの選択に際して最後は「経済を取った」ということである。日本の経済が成長する方を望んだはずだが「丸儲け」したのは中国だ。当時の橋本竜太郎幹事長は「日本の反応はあれしかなかったのではないか」と述べ、「日本が欧米諸国と同一歩調を取れないのは当然だ」。塩川正十郎官房長官は「日本に亡命を求めてくる中国人が出てくれば厄介。中国側に警備要請してはどうか」と述べた。宇野宗佑首相は5日の所信表明の中で事件に言及もしなかった。
サッチャー元首相は97年中国に返還予定の香港について本土の影響を不安視していた。その23年後の今年6月、中国での民主化運動を禁じる「香港国家安全法」が成立し、その懸念は的中した。日本側は中国が潰れたら難民が何百万人単位で発生するのかとの捉え方だが、欧米諸国は「人権弾圧は許せない」の理念で固まっていた。中国を潰せないと考えた日本はゴマをする側に回った。91年には海部俊樹首相の訪中、92年には天皇の訪中をお膳立てし、これで中国はメンツを取り戻した。2001年には米国が中心となって中国を世界貿易機関(WTO)に迎え入れた。外交の完全なる見当違いだ。
その後のWTOは中国歓迎体制の様相を帯びた。そして我々が今直面しているのは「どうすれば中国に殺されないで済むか」ということである。トランプ大統領の“中国叩き”が無かったら中国はその宣言通り、2035年には米中軍事均衡、2049年には世界を制覇していたかもしれない。
世界は中国人をどう扱うべきか、まるっきりわかっていない。「対等に付き合え」と言ったのは聖徳太子で「こんなのとは付き合うな」と言ったのは福沢諭吉である。
中曽根康弘元首相と親しくお付き合いしたが、中国についての認識ではどうしても一致できなかった。中曽根氏の考え方は政治家が深い人脈をつないでゆけば、日中は友好的になるという。自身は胡耀邦元首相と家族ぐるみの付き合いをしたが、胡氏に頼まれて靖国神社参拝を止める失敗をした。
政治家達が対中認識を間違えた根本原因は旧制高校などで「漢文」などの授業を学んだからだ。その授業の中心は「論語」だ。これは孔子という人の良いお爺さんが語った名言を弟子たちが集めたものだが、「思想」ではない。石平氏は「こんなものは学ぶ価値が全くない」という。中国を上回る軍事力を準備して中国を抑止するほかなくなった。
(令和2年12月30日付静岡新聞『論壇』より転載)