「政・官の関係」
―政治家が主導権を握るのは先進国では一般的―

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会長・政治評論家 屋山太郎

 官僚の力が弱くなって、政治の力が増してきた。官低政高の現象が目に見える形で浮上して来たのが昨今の状況である。官僚の側から見れば不服なのだろうが、政治家が主導権を取る形自体は先進諸外国では一般的だ。
 50年程前、私が初めて国会取材していた頃は、大臣が「これは大事なことでありますから事務官に答弁させます」と言っていた。大臣は省庁のシャッポであり、具体的な損得の話を知らなくていいのが常識だった。官庁内部の人事に口を利かないのも常識だった。小泉純一郎氏は郵政大臣に就任して「銀行があるのだから郵便貯金の限度額を引き上げる必要はない」と郵政がのさばるのに打撃を与えた。当時小泉氏の大臣室を尋ねると書類は一枚もなし。仕事は一つもなし。完全に干し上げられていた。後年、小泉氏が総理大臣になって郵政の全民営化を断行したのは、干された意趣返しの意味もあったろう。
 官僚がなぜかくも強かったか。欧米諸国は庶民が革命を起こして支配者になった。支配者は事務などやったことがないから事務の専門家を雇う。その専門家が官僚であって、官僚の側から仕事の方針に注文は付けない。スイスの新聞にジュネーブ州政府の求人が載っていたが「主任求む。給与年俸○○スイスフラン」と簡単なもの。何人かが応募して選抜が行われるのだろう。この主任の立場で「仕事を増やせ」というわけが無かろう。したがって役所の仕事は膨張しない。日本だと課長が仕事を増やし、予算を増やせば手柄である。なぜこういう現象が今も続いているかと言えば、1868年の大政奉還のあと、内閣制度ができたのは1885年、憲法発布が89年で議会が開かれたのが翌年である。
 つまり政治家が選出される15年も前に内閣を発足させた。この官僚制度は実に見事だった。しかし上に座っている大臣は全くの政治の素人なのである。今もなお続いているが、官僚が手取り足取り政治のやり方を教えた。
 今の政界、官界の在り方は千変万化している。官界に入って、これでは政治が動かないと政治家に転身する層は、以前は役職者が多かったが、今は若手が多い。政治家が政治のリーダーシップを握るのが三権分立の常識だが、日本も欧米並みの姿に代わってきた。
 その変化を断行したのが安倍晋三前首相だろう。それまで政治を動かしていたのは財務省(前大蔵省)だった。天下の秀才を集めた財務省がまずいと断じたのが安倍氏である。東大法学部の特別秀才が次官、主計局、理財局と10人程度で省を率いる。各企業や証券会社は同期生を入社させて「MOF担」とする。この秀才たちが何を考えているか探るためにご馳走攻めにする。ノーパンしゃぶしゃぶ事件などは東大法学部一極集中の象徴だろう。この型の最大の欠点は異論を常にはじいてしまうことだ。省の財政論で固まってしまう。安倍氏が「内閣人事局」を作って幹部人事を操れるようにしたのは正解だった。
(令和3年1月20日付静岡新聞『論壇』より転載)