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民・共共闘の危険
―国家運営の根幹を共有できない政党と結社は同床異夢―
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会長・政治評論家
屋山太郎
民進党の9月代表選は今後、同党が政権政党に成長するか、万年野党の道を歩くかの岐路になるだろう。岡田克也代表は先の参院選で共産党と組む民・共連合の旗を振った。この結果、32の一人区で11議席を取ったことだけを見れば成功だったと言えるだろう。しかし改憲勢力に3分の2議席を取られた点からみれば、勝ったとは言えない。
94年に選挙制度を中選挙区制から小選挙区比例代表制に切り換えたのは、政権交代を想定したものだった。田中角栄氏に象徴される金権政治に終止符を打つのは政権交代しかないというのが、当時の選挙制度改革派の相違だった。ただし比例制度を加味したため、小政党との連立はあるかも知れないと想定された。
09年に行われた総選挙で民主党は308議席を取って政権を担った。首相には鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の三氏が就いたが、政権の評判はガタ落ちで3年半で民主党政権は没落した。没落した理由は政権に慣れていないのに加え、政権の背骨である外交・防衛政策の一致がなかったのが致命傷だった。
民主党は旧社会党と新進党系の保守派が合体してできた政党である。旧社会党は非武装・中立を唱える政党だった。一方、野党の共産党は非同盟・中立を標榜した。具体的には安保条約破棄、自衛隊解体である。一見すると旧社会党の非武装・中立路線と似ているが、共産党のは非武装ではない。既存の自衛隊は解体し、共産党の指揮下に入る軍隊を持つというものである。これは自衛力を持つという点で、社会党とは考え方が大きく異なる。しかし55年体制下では社共は常に共闘してきた。
転機が訪れたのは94年に村山富市氏が自社さ連立政権の首相に就いた時である。社会党は首相をとった代わりに、後世大事に守ってきた非武装・中立という「護憲」の旗を下し、日米安保を認めたのである。ここに付け込んだのが共産党で、94年の綱領改正で非同盟・中立から「護憲」に転じた。「憲法前文も含めて憲法を完全に護る」というのである。村山氏の方針転換に不満だった社会党支持者は雪崩を打って共産党支持に回った。
共産党の94年党員数は35万7000人、しんぶん赤旗が250万部出ていたが、これが14年になると30万5000人と125万部まで落ちた。一方で獲得議席はじりじりと増やしている。
この党員も赤旗もガタ減りなのに議席数を増やすというのは他から票をかき集めているからだ。
どこから集めているか。民主党も民進党も「護憲派」と「保守派」による混成団体である。共産党はこのうちの「護憲派」を自陣に引っ張り込んでいる。このため両党とも安保・防衛問題で党内で一致した政策が打ち出せない。どの政党も仲間を集めるのは自由だが、共産党は党の方針は党首の一存で決まる民主集中制で運営されている「結社」である。民進党はこの結社を党外に排除しなければ政権は取れないはずだ。
(平成28年7月27日付静岡新聞『論壇』より転載)