「歴史が紡いできた日本人の武士道精神」
―日本と中韓両民族との融合は絶対にない―

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会長・政治評論家 屋山太郎

 地政学的に日本ほど厄介な立場に立たされた国はないだろう。世界中ほとんどすべての国を回ったが、日本人の常識が全く伝わらないという国はなかった。しかし隣国、中国と韓国ほど話の通じない国はない。中国と言えば、国際仲裁裁判所の判定が気に入らないと言って「そんなものは紙くずだ」と外務大臣が叫んだ。韓国は1965年に結んだ日韓基本条約よりも国内法の判決が優先するという。
 こういう考えが改まらないうちは、他国が中韓両国を信用することはあるまい。それを証明するように米国が中国との工業分野の絶縁に踏み切った。中国が工業分野の秘密を盗み放題。米国が研究した成果で中国が発展し、無茶苦茶な軍拡を実行されたのでは対決するしかないと考えるのは当然だ。日本も貿易航路の自由を守る必要から、安倍晋三前首相が「開かれたインド太平洋」構想の下に日米豪印(クアッド)をまとめた。これに欧州の英独仏も加勢する様相である。
 日本国内では中韓との外交関係を改善するために議員交流を重ねるとか、官僚同士がもっと接触するなどの案を唱える者がいる。しかしこれらの手法はすでに実験して失敗したものばかりである。まず日本人が自覚しなければならないのは日本と両民族が融合することは絶対にないということである。
 中国は4千年の歴史を重ねたと自負するが、4千年かけて民族を統一したモラルがあるのか。韓国にも民族的に誇れる徳目は何もない。中国になぜ国家的、普遍的な道義が生まれなかったのか。中国の社会を律している原理は宗族(そうぞく)主義という概念である。中国の相続方法は諸子均分相続と言われるが、この原理は数千年間、変わっていない。要するに男子だけが均等に遺産の配分を受けるというものだ。A家に5男いたとすれば、Aという名の宗族が5軒生まれる。これがさらに5人ずつ男子を産めば25軒になる。これでも十分大きいが、大きな宗族になれば数百世帯にも及ぶ。宗族は時には村のような私的行政機関を持つ。中国共産党といえども宗族の意向を無視はできない。宗族は一族のためなら人殺しも泥棒もする。こういう世界が数千年も続いたから、国連の文書などは紙屑だと本気で思っているのだろう。この風潮が改まることはあるまい。
 朝鮮も10世紀に高麗朝が成立して、20世紀に朝鮮王朝が崩れるまでの1千年間に国が強力であったことは一度もない。「尚文軽武」といって儒教を崇め武人を軽視した。この間日本は700年間程武士政権が続いたが、仏教や新党が精神の基礎になったため、武士道という最高の倫理が定着した。ただ強いだけでは尊敬されない。相手を負かしても相手の情に配慮する「惻隠の情」を備えて初めて武士なのである。
 日本と中韓両国との歴史の違いからモラルの決定的差異が来ている。中韓両国が先進国との差を縮めてくることはないだろう。
(令和3年7月28日付静岡新聞『論壇』より転載)