オリンピックを朝から夜中までテレビで楽しんでいる。事前に「中止」が叫ばれていたが、よくぞ断行してくれた。中でも嬉しかったのは柔道だ。勿論、日本の選手が金を量産してくれたのは嬉しかったが、世界の柔道界が全員日本並みのマナーを身につけていたのを見て、心から満足した。
64年の東京オリンピックの前後から、柔道は世界で流行り出したが、方法も精神も日本式からかけ離れ出した。勝った選手がまだ審判の手が上がらぬうちに、喜び勇んでガッツポーズをする、道場外の応援団まで畳に上がってお祭り騒ぎである。前東京オリンピックでは神永昭夫がオランダのへーシングにまさかの敗北。狂喜したオランダ応援団が一斉に畳に押し掛けた。咄嗟にヘーシングは両手を広げてその動きを止めた。これが美しい柔道の最後だったろうか。勝つとガッツポーズをするは、応援団への挨拶回りをするなど柔道は国際化してJUDOになった。
現在、全日本柔道連盟の会長、山下泰裕氏も84年のロス五輪無差別級で金メダルを取った時、うっかりガッツポーズをして、自ら「これは良くない」と反省したそうだ。以来、日本国内は勿論、外国で試合をする時も“日本式”を貫いた。その成果が結実したのが今回の柔道と言うことになろうか。
柔道の礼が外国人の心理にどのような影響を及ぼすのかは分からない。しかし、日本人には自然と武士道の心が浮かんでくるのではないか。田中英道氏は『「やまとごころ」とは何か』で日本文化の深層を描き出しているが、日本人は皆やまとごころを持っており、それを意識化することが大切だという。柔道も一時礼を放り出したが、礼を尽くすことで生気を取り戻した。
柔道はひと安心だが、国技と言われた相撲はどうか。武士道を表現する言葉で私が最も好きな言葉は「惻隠の情」である。大学時代、私は剣道をやっていたが、たまたま試合で強敵に勝って、監督に笑いかけた。監督も喜んでくれると思ったのだが、彼は険しい顔で私の背を竹刀で思いきり叩いた。耳元で「敗けた奴の心情を思いやれ」と言うのである。なるほど、その心情が「惻隠の情か」と一瞬にして悟った。
相撲が国技と名乗るからには土俵上は武士道に満ちていなければならない。朝青龍もそうだったが、白鵬も「日本の『やまとごころ』」が分かっていない。勝った後に突き飛ばしたり、横たわっている力士の肩を蹴ったのを見たことがある。勝負は勝ち負けだけではない。勝った後の佇まいも美しくなければならない。
先日、終わった名古屋場所の千秋楽、白鵬は立ち合い、有利に立とうと卑怯な真似を繰り返した。私は幼少期、双葉山に熱中したが、双葉山が有名だった理由の1つは「必ず受けて立つ」ことだった。14日目も白鵬は相手の飛び込みを恐れて土俵際に下がって仕切った。相撲協会は、白鵬の引退後は一代に限って白鵬部屋を設立させるそうだが、日本精神を一ミリも分かっていない親方が部屋を作れば相撲は滅亡だ。
(令和3年8月4日付静岡新聞『論壇』より転載)